コラム/2015-01-05
自分を好きになるという事
「私は自分の事が大嫌いです。いっそ、いなくなった方がいいのでは?
と思ったりします」
自分の事をこんなふうに思い続けて生きて来られた人もいるでしょう。
そして誰かに「自分の事を愛しなさい。好きになりなさい。
そのままのあなたを認めてあげなさい」と言われる・・・。
でも、「そうしたい」と思ってもできない。
何故なら自分の事が大嫌いだから・・・。
「自分の事が大嫌い」と思ってる人は
「自分の全てが嫌い」で「好きな所は一つもない」と信じている
のかも知れない。
もしそだとすれば、自分の中の”どの部分”が自分を好きになったり、
認めてあげる事ができるのだろう?
そんな”部分”を持っていない人には「自分を好きになる」というのは
難題中の難題だと思う。
(言ってみれば(「誰かこの子を見て頂戴!」と泣いてる赤ちゃんの世話
をお願いしても、全員が赤ちゃんだったら世話ができないのと似た状態だと思います)
では、どうすればいいのか?
まず、無理に自分を好きになる努力をやめてみませんか?
誰だって自分の中の嫌いな部分や、認めたくない部分を持っていると思います。
(勿論、僕自身も(笑))
だったら、それはひとまずそのままにしておきませんか?
そして、無理に自分を好きになる代わりに、自分の中のニュートラルな部分
(好きでも嫌いでもない部分)を作っていきませんか?
例えばもしあなたが「自分の好きな部分なんてない」と思っているのであれば、
自分の性格、考え方、行動、習慣、過去の出来事等を思い返して
①大嫌いな部分
②嫌いな部分
③少し嫌いな部分
④ニュートラルな部分(好きでも嫌いでもない)
を書き出してみませんか?
次に「私に良い所なんて一つもない」と言ったとしたら
「そんな事はない」と言ってくれる人は誰か?を思い浮かべてみませんか?
その人はあなたのどんな所を良い所だと言ってくれるでしょうか?
その人が言ってくれそうな言葉が思い浮かんだら
「ニュートラルな部分」に書き加えましょう。
そして「ニュートラルな部分」に書き込んだ内容を見返して、
その”部分”に名前をつけてみませんか?
(※「ニュートラルな自分」、「少しマシな自分」、「冷静な大人の自分」等)
それが済んだら「①」~「③」に書き出した大嫌いな部分~少し嫌いな部分
をよく眺めてみましょう。
その中で、あなたの家族や恋人、周りの友人・知人、はたまた芸能人
でもいいですので、あなたと同じ”嫌いな部分”を持っているけど
「嫌いじゃない」人を思い浮かべてみませんか?
→例えば「私のすぐ他人の顔色を伺ってしまい、何も言えない部分が大嫌い」
と思っていたとします。
そして、あなたの彼もそういう部分がある様に感じる等。
そういう相手が思い浮かんだら、「ニュートラルな自分」になったとして、
考えてみましょう。
ニュートラルなあなたは相手のその部分は同じ様に大嫌いでしょうか?
もし「許せる」とか「大嫌いじゃなく少し嫌い」程度だとすれば、
あなたと相手との”違い”は何でしょう?
その”違い”を少しでも埋める為に、あなたができる小さな事は何でしょう?
→例えば、「彼も他人に遠慮して普段は自分の意見を言えないけど、
この前は私を守る為にはっきりと上司に進言してくれた。
いざという時は言ってくれる・・・」
「じゃあ、私もいざという時に言える様になれれば・・・」
「でも、どうやればいいのか? 彼にヒントを聞こうかな?」
「そして、取りあえず、誰になら自分の意見を言えるだろうか?」
等と、できそうな事から実行してみませんか?
そうしていって「大嫌いな部分」がもし、「少し嫌いな部分」に変わったり、
「嫌いな部分」が「ニュートラルな部分」に変わったら、
その都度書き写して行きましょう。
(※ニュートラルな自分の視点で仕訳してゆくのがコツです)
それを行っていくうちに、「大嫌いな部分」や「嫌いな部分」が減って
「少し嫌いな部分」や「ニュートラルな部分」が増えてゆくかも知れません。
そして「無理に自分を好きにならなくても、ニュートラルな部分が増えれば、
今より少しは楽に生きて行けると思います。
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