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コラム/2015-10-02

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淋しい!孤独だ!という気持ち

「誰かと仲良くなりたいのにできない」

「誰かに側にいて欲しいのにいてもらえない」

「誰かに気持ちをわかってもらいたいのに叶わない」

そんな時、誰でも「淋しい!」と感じますよね?

そして「私は淋しい、淋しい」と心の中で呟きつづける・・・。
そうすると増々淋しくなってしまう。

何故なら、「淋しい」には「クラスに友達がいないから」とか
「彼が傍にいないから」、とか「LINEの返信が返って来ないから」
等といった、それぞれの「淋しい」の前提の条件が含まれているからです。

どういう事かと言うと、

例えば友達が欲しくてもできない場合、
「淋しい」と心の中でつぶやく度に「私には友達がいない、だから淋しい。
こんな私はダメだ。可哀想な私・・・」という考えをも繰り返している事になる
でしょう。

もしそうなら「淋しい」と繰り返す度に、「私には友達がいない」という
今の時点での現実が事実として確定されてしまう

更に、友達がいない=淋しい、友達がいない=ダメな私、可愛そうな私、
という考え方も誤りのない事実として固着してゆくでしょう。

そして「可哀想なくらいダメな私」という所まで自分の価値下げを
行ってしまうと、とてもじゃないけど、友達を作行動を取る為の自信
が生じる事は困難になり、増々「淋しさの悪循環」に陥ってしまうと思います。

※同様に、「彼に大切にされずに淋しがってる自分」も、
 増々彼に依存してしまい、増々淋しさを感じてしまう事になるでしょう。

僕は26歳の時に仕事を退職した後に、思う所あって
誰も知り合いのいない博多で独り暮らしをしていた時期がありました。

幸い、前職で稼いだ貯金があったので、貯金を切り崩しながら働きもせず
毎日図書館に通う以外は家に居て自炊する、という生活を半年間続けました。

その時の僕は自分の事を淋しがり屋で弱い人間だと定義づけていましたので、
己を鍛える為に親以外は連絡先を一切知らせず、誰とも会話せず、
「どれだけ孤独に耐えれるか?」といった、修行?をやっていました。
(※今思うと笑えて来ますが)

結果、半年間誰とも口を聞かず生活を続けても淋しさを感じた事は
ありませんでした。

そこで僕は「僕は孤独に強い人間になった!人と接しなくても平気だ!」
と一人で有頂天になっていました。

でも、今から思えばそれは当たり前の事です。

だって「自分を鍛える為に人と関わらない」と決めていた訳ですし、
「淋しい」という暗示をかける必要もなかったからです。

では、その修行(笑)の後はどうなったのか?というと、
やっぱり人と関わるようになりました。

それは、自分は誰とも関わらなくても寂しさを感じる事はない(孤独に強い!(笑))
という発見と同時に、自分の心の中に「でも他人と関わりたい」という欲求
がある事を再発見したからです。

それからは「淋しいな」という悪循環をもたらす自己暗示ではなく、
「僕は他人と関わりたいんだ」という欲求に目を向けて
沢山の人と関わる様になりました。

まあ、さしづめ今の僕の心の中の呟きは
「僕は孤独に強い。だから孤独でもいい。でも他人と関わりたい気持ちもあるから
その気持ちが出て来たら関わってもいい」ってとこでしょうか。

(今振り返ると「孤独に強い自分」で自信をつけ誰とも関わらなくてもいいや!
 =嫌われてもいいやが余計なプレッシャーを無くし、
 結果他人と関わる事のハードルが下がったのかも知れません。
 かといって、余りおすすめできるやり方ではありませんが(笑))

まあ、いずれにしても自分にどういう”暗示”をかけるか?が大切だと思います。



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