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コラム/2016-08-04

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「諦め」から始まる事

「あの時、ああしておけば良かったのに・・・」
と後悔を引き摺る人。

「もっと容姿端麗で生まれたかった・・・」
と自分の容姿を呪う人。
「こんな暗い性格でさえなければ・・・」
と自分の性格を責める人。

「育った家庭環境がもっと良ければ・・・」
と子供時代の家庭環境を嘆き続けれる人。

よく「他人と過去は変えられない」といいますが
加えて自分が持って産まれたものも変える事は難しいものだと思います。

そんな時、周りの人からも「仕方がないと諦めなさい」と言われる
かも知れませんが、そう簡単に諦められないから人は苦悩する訳です。

これを”執着”と言います。

お釈迦さんも「生老病死」の「苦」を克服しようと出家されましたが、
それを克服なさったのでしょうか?

勿論、お釈迦さんでも「生老病死」を克服された訳ではなく、
「それはそういうものだ」と諦めた(=執着を絶った)から
苦から解放されたのではないでしょうか?

この「諦める」(=執着を絶つ)事に関して極端な例で言いますと、
例えば乙武さんの様に生まれつき肉体にハンディキャップを持って
生まれて来た方がいるとします。

最初は本人も親も「五体満足で生まれていたら・・・」とか
「何故僕には手足が無いんだ!何て不幸なんだ!」と
何度も思われた事でしょう。

「神様朝起きた時にはどうか手や足が生えますように・・・」
と祈って眠りに就き、朝起きた時には変わらない現実に失望してしまう。

「どうかこれが悪い夢でありますように・・・」
と祈り続けてもその夢が覚めない事に愕然としてしまう。

これは、言ってみればギアをバックに入れて
アクセルをふかし続けても前に進めないという状態です。

前に進む為にはギアを一旦「ニュートラル」に戻す必要があります。

この「ギアをニュートラルに戻す」事を「諦める」と言うのだと思います。

僕の師匠の矢野惣一先生が「”諦める”とは”明らかにして認める”という事だ」
と仰っていました。

つまり「ギアをここに入れ続けても進めない」という事を明らかにして、
その事実を認める・・・。

だから一旦ギアをニュートラルに戻す、という事ができるのだと思います。

所がここで問題なのは、ニュートラルに戻したままでそこに居続けてしまう事
だと思います。

ニュートラルのままだとアクセルを踏んでも車は当然動きません。

先程の例で言うと、
「どうせ僕は肉体にハンディを背負っているから何もできないんだ」
と思い続ける事に当たると思います。

この状態は「諦める」から「投げやり」になった状態だと言えるでしょう。

よく
「どんな自分もそのまま受け容れましょう」とか
「執着を手放しましょう」と教えられ、
ニュートラルに戻したはいいけど、どこにもギアを入れずに
そこに留まり続ける人がいます。

それでは前へ進めません。
言わば「投げやり」の状態です。

では、どうすれば良いのか?

それは「何の為に諦めたのか?」を考えてみる事がまず大切だと思います。

それは「投げやり」になる為ではなく、ギアを他の所へ入れる為、
つまり方向転換をする為ではなかったでしょうか?

先程の例で言うと、
「五体満足に戻るのは諦めたけど、
じゃあ、どうしたらこの身体で幸せに生きて行けるのか?」
を考えて、
「じゃあ、字を書く為にはどこを使えば良いのか?」
とか
「日常性格で不自由しない為にはどういう工夫を施して行けばいいのか?」
「この身体で、或いは自分が持ってる他の能力でできる仕事は何だろうか?」

等と考えて別の部分を伸ばして行くという行動をする、という事です。

つまり
「ギアをニュートラルに戻したら、ローやセカンドに入れてみて、
とりあえずアクセルを踏んでみる事」で前進して行ける訳です。

さあ、ギアを一旦ニュートラルに戻して
「これはこれとして、どうすれば前に進めるかな?」
「どうすれば幸せになれるだろうか?」
と方向転換してみませんか?

但し、徐々に徐々にです。

だっていきなり「トップ」に入れたらエンストしちゃいますから(笑)。



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