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コラム/2016-10-03

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初盆~執着から愛へ

(※この記事は2015年8月に書いたものです)

誰でも近しい人を喪った時には暫くは喪失感に苛まれると思います。

僕自身も4月に父を突然亡くし、もうすぐ初盆を迎えます。

そこで「父への想い」を整理してみる事にしました。

「もっと二人で酒を酌み交わし、男同士色んな事を語り合いたかった」
 「もっと親孝行しておけば良かった」
 「痴呆の母を残して先に行くなんて、僕に重圧が掛かるよ」

・・・これらは皆、手放すしかない「執着」と言えるでしょう。

(その証拠に、これらを考えている時は自分が苦しくなります)

逆に、

「母に最後まで寄り添ってくれたね」
「道を逸れそうになった時に、説教してくれたね」
「旅行に連れてったり、昔話を聞いてあげた時は嬉しそうだったなあ」
「自分の想い通りの人生を歩みきったよね」
「でも、母を独り残すのはどれだけ気がかりだっただろう?」
「自分史を書き上げる事ができなくて、
 孫の花嫁姿を見られなくて、少し悔いてるんじゃないかな」

・・・これらは皆、「愛」だと感じます。

(その証拠に、これらを考えている時は胸が「ジーン」と来ます)

つまり(僕の私見ですが)

「自分が失ったもの」 
「相手が与えてくれなかったもの」
「自分が与えられなかったもの」
に思いを馳せる時にはそれは執着になってしまうと思いますが、

「相手が失ったもの」
「相手が与えてくれたもの」
「自分が与えたもの」
「相手が得たもの」
「相手が得られなかったもの」
に思いを馳せる時には、それは「愛」になると感じます。

もしそうだとすれば、喪った相手への執着に苛まれている方は、

「相手が失ったものは何だろう?どんな気持ちだろう?」
「相手が与えてくれたものは何だろう?
 それを想って、今自分はどんな気持ちになってるかな?」
「自分が与えたものは何だろう?あの人はどんな気持ちになってるだろうか?」
「あの人が人生で得たものは?得られなかったものは?
 それで、あの人は今どんな気持ちだろうか?」

等と自問してみませんか?

要するに、
「自分の心残り」=執着の涙

「相手の心残り」=愛の涙へ
と変え、

「自分が得たもの」「相手が得たもの」
も思い描くと、

「有難う」という感謝や
「良かったね」という喜びや安堵の笑顔に結びつくのではないか?
と思います。

さあ、早速実践して行きます。



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