コラム/2016-11-01
「白黒思考」から「グレイ思考」へ
「彼の言ってる事は間違ってる!私は正しい」
「仕事をちゃんとできない自分はダメ人間だ」
自分の基準に照らして
「間違っている」とか「正しい」とか
「ダメ」とか「ダメじゃない」とかの判断をして
自分や相手に「白」か「黒」のレッテルを貼って裁いてしまう人もいるでしょう。
それで、自分自身がしんどくないのなら構わないと思いますが、
もし苦しいのであれば、それを見直してみませんか?
まず、そもそも「絶対」の基準というものはあるのでしょうか?
勿論「他人を殺めてはいけない」、「隣人を愛せ」等といった
道徳的・宗教的な基準や今の日本の「教育」、「勤労」、「納税」の三大義務
等は「普遍的な基準」の様に聞こえますが、
戦時中は他人を沢山殺め、隣国に攻撃を仕掛ける事が「正義」だったりした
訳ですし、また、昔の日本や未開の地では3大義務はなかったのでは
ないでしょうか?
つまり私達が今、「普遍的な絶対の基準」と思っているルールそのものが
時代や文化によって変わってしまうものであると言えると思います。
もし「普遍的だ」と思っている基準そのものが絶対的なものではないとすれば
私達個々の基準は、もっとあやふやなものになるのではないでしょうか?
なのに「自分のルールは絶対だ」と錯覚してしまうと
それに合致しない自他を責めてしまう・・・。
例えば
「なんでお前は俺の言う事をきかないんだ!」と妻を責めるモラハラ夫。
→「他人(妻)は自分の言う事をきくべきだ」
という「自分の基準」で相手を責めちゃってる訳です。
また
「なんでダラダラゲームばかりして勉強しないの!」と子供を怒鳴りつける母親。
→「ダラダラしちゃいけない。勉強しなきゃいけない」
という「自分の基準」で子供を責めちゃってる訳です。
また例えば
「私は仕事でまたミスをしてしまった。何てダメなんだ」と自分を責めるOL。
→「失敗しちゃいけない」という「自分の基準」に反したから
自分を責めちゃう訳です。
「あの子に嫌われたかも?・・・」と落ち込んでいる中学生。
→「嫌われてはいけない」という「自分の基準」を守れなかったから
自分を責めちゃう訳です。
つまり、パーソナリティー障害的に相手を責める人も
うつや神経症的に自分を責める人も、
どちらも「自分の基準が絶対だ」と思い込んでいる事が原因の一つ
であると思います。
そしてそういった「自分の基準」に照らし合わせて他人を「黒」と決めつけると
どんどん孤立し孤独の苦しみを味わうでしょうし、
自分を「黒」と決めつけると、どんどん自信がなくなってゆくと思います。
もしあなたがそういった「白黒思考」に苛まれて苦しいのであれば、
「グレイ思考」へ変えてゆく事が役立つかも知れません。
例えば、認知(行動)療法等では、
「自分の基準」が正しい事(白)を裏付ける証拠と
絶対ではない事を裏付ける証拠(黒)を箇条書きで挙げていったり、
「自分の基準」が正しいと信じるメリット(白)と
デメリット(黒)も同様に挙げてゆき、
「グレイ思考」(適合的な思考)に変えてゆく
といった事をお手伝いしたりします。
そうやって「グレイ思考」が増えれば楽になってゆく筈です。
だって、校則・規則だらけの学校や会社だと息が詰まりますが、
校則・規則が緩やかであればそうはなりませんよね?
勿論、
「自分はこう思う」「こう信じる」というご自分の信念は当然持っていてO.K.
だと思います。
但し、そこには「相手の信念も認める」事と
自分の信念を絶対だと思い固執しないという柔軟性が必要だと思いますが・・。
もし自力での「グレイ思考」への転換が難しい場合はお気軽にご連絡下さい。
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