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2021/5/31 (月)

劣等感と自己愛性パーソナリティー障害②

<前回からの続き>

今回は前回取り挙げた、「自己愛性パーソナリティー障害」と思しき
架空のA男さん心理(脳)的なメカニズムを(私見に基づき)解説して
ゆきたいと思います。




A男さんは父親に否定され、モラハラ・DVを受けて来ました。

でもそんな父親に反発し、殴り返したり非行に走る様になりました。


私の推測では

①父親の否定・モラハラ・DV

②恐怖・怒り

③(ノル)アドレナリンシステム起動

④相手に勝つ優越感や非行(面白い事)で刺激を得る事を目標にする

⑤ドーパミンシステム起動

⑥優越感や喜び(報酬)を得る

といったパターンが繰り返されそれが強化されていったのでは?
と想像します。


この事からも、A男さんは恐らく刺激を求める「ドーパミンシステム」
+「(ノル)アドレナリンシステム)」優位型と考えられます。

そして、
もしかしたら彼の父親も同様のシステムを持っているのかも知れません。


だとすれば、
そのシステムの型は、遺伝=器質的な要因が大きいのかも知れません。


但し、同様のシステムの型を(生まれつき)有している人が
皆「自己愛性パーソナリティー障害」になる訳ではないでしょう。

例えば同様のシステムを持って生まれたC男さんが居たとして、
彼の父親が所謂”スポ根親父”だったとします。

C男さんは幼い頃から父親に野球をさせられて、
厳しい指導を受けてきました。

時に鉄拳制裁も喰らいましたが、上達したり試合で活躍すれば
父親は大いに褒めたり喜んでくれました。

そして、C男さんは大声援の元で甲子園に出場し試合に勝って
歓喜の涙を流しました。


この場合のC男さんのシステムのメカニズムとして考えられるのは

①父親から否定

②恐怖・怒り

③(ノル)アドレナリンシステム起動

④「何クソ!」と練習に打ち込む

⑤上達を褒められたり、自分で実感できる

⑥ドーパミンシステム起動

⑦達成感や喜び(報酬)を得る

というパターンが考えられます。

もしそうだとすれば、
「自己愛性パーソナリティー障害」と思しきA男さんと、
甲子園のスターのC男さんの一体どこが違うのでしょうか?


もし上に書いた私の想像が正しければ、

C男さんの場合は「④」「⑤」の様に、

「否定」や「劣等感」で(ノル)アドレナリンシステムが起動されると
その怒りや悔しさを「何クソ!」と自分が努力する事にぶつけ

自分で満足する、他者から承認される事を目指して
ドーパミンシステムが働いていると考えられます。

※そのパターンができ上げれば、野球のイチロー選手や
 フィギュアスケートの羽生選手の様に、

「自分はまだまだダメだ」(自己否定=(ノル)アドレナリンシステム)
 →「もっと練習してうまくなりたい」(自己満足=ドーパミンシステム)
 を内在化させ、素晴らしい選手になってゆくでしょう。

 そしてそこには他者からの否定は必要ないので(内在化してるので)
 他者の否定には敏感ではなくなっているのかも知れません。


一方A男さんの場合は、

最終的な報酬(相手に勝つ優越感等)を得る為には、
まず他者の否定に対して敏感になって(ノル)アドレナリンシステムを
起動させる必要があるのだと思います。


ですから、相手の否定に敏感になり「お前は俺を否定してる!」
と捉えなきゃ始まらない訳です。

そして、
相手を完膚無き迄に叩きのめす事でしか報酬を得られないパターン
ができてしまっているのではないでしょうか?

もし私のこれらの想像が当たっているとすれば、

「自己愛性パーソナリティー障害」の人は「劣等感が根底にある」
というよりも、

「劣等感」を作り出してでも報酬を得るパターンを身に着けてしまっている
とも言えるかも知れません。



更に、
A男さんC男さんと比較して「自分を客観視できない」という部分がある
と思われますが、これは自我の未発達の部分とも言えるでしょう。

そうであるならば、私は上記の様なパターンが繰り返された為に、
報酬系のシステムがそれに基づく様に強化・固定された結果として
自我の発達を妨げたのではないか?とも考えます。

次回からは、「境界性パーソナリティー障害(BPD)」の人の
私なりに考えるそのメカニズムをお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/28 (金)

劣等感と自己愛性パーソナリティー障害①

<前回からの続き>

今回も引き続き、

「刺激を求める傾向が強い人は
 ”ドーパミンシステム”、”(ノル)アドレナリンシステム”優位型
 と考えられる。

 そういったタイプの人は、刺激不足に陥ると”劣等感”や”怒り”、”不安”
 を作り出してでも、そのシステムを作動しようとする傾向がある
 のではないか?」

といった、私の考え方を基に

「劣等感と自己愛性パーソナリティー障害」についてお書きしたい
と思います。

「自己愛性パーソナリティー障害」とは

「自分に対して誇大なイメージを抱き、”自分は偉大だ!”俺は凄いんだ!”
 という言動を繰り返し、注目や称賛を求める一方で、

 その根底には目成熟な自己愛から来る劣等感を有し、
 他者からのマイナスな評価に対して過敏に傷つきやすく、落ち込んだり
 逆に攻撃的になる事もある。

 加えて他者に対する共感性が薄く他者を利用したり、
 他者の価値下げをする人」

と定義できると思います。

そしてモラハラやパワハラやDVをする人の典型とも考えられています。

ここで、「自己愛性パーソナリティー障害」と思しき架空のA男さんと、
その妻であるB子さんを例に挙げてお話を進めてゆきたいと思います。

A男さんは30台半ばの営業マンです。

幼い頃はよくできる兄と比べられて、厳しい父親から
「お前はダメだ!」「情けない奴だ!」等と否定される事が多く、
よく怒鳴られたり、時には殴られる事もあった様です。

思春期の頃からは、そんな父親に反発する様になり、タバコを吸ったり、
バイクを乗り回したりと、所謂”非行”に走った事もありました。

そんなA男さんも徐々に落ち着いてきて、
営業会社に入り、そこで出会ったB子さんと結婚しました。

そんなある日のA男さんとB子さんの一コマ・・・


A男「俺は支店でトップの営業成績なのに、部長の奴は
  ”君はクレームが多い”と文句を言ってきやがった・・・。

  この支店は俺でもってる様なものなのに、仕事もできない部長に
  腹が立って仕方がない」と、自宅に帰って来るなり、
  怒りに満ちた様子のA男さんです。


B子「あなた、そんな事言ってもクレームは少なくする方が
  いいんじゃないの?」


A男「何?!お前まで俺を否定するのか?!!
  誰のお陰で食べていけてると思ってるんだ!!」


B子「ちょ、ちょっとそんなに大声で怒鳴らないでよ!
   子供が起きちゃうじゃない?
   それに否定してる訳じゃないし・・・」


A男「うるさい!お前はいつもそうだ!この前も接待で遅くなったのに、
   俺が帰って来た時に不機嫌な顔してたよな!」

  と、A男さんは益々ヒートアップしてきました。


B子「もういい加減にしてよ!過去の事まで持ち出して・・・」


A男「お前は俺の有難みを感じてないんだろ?!
  誰がこの家の主かわからせてやる!馬鹿にしやがって!」

 と、A男さんはB子さんの髪の毛を掴んで引きずり回しました。


こうした夫の暴言・暴力が繰り返され、B子さんは疲れ果てて
離婚を考える様になりました。




A男さんは典型的なDV・モラハラ男ですよね。

では何故A男さんはそれを繰り返し続けるのでしょうか?

次回は、この例を基に「自己愛性パーソナリティー障害」の人の
(私なりに考えた)メカニズムをお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/26 (水)

劣等感と摂食障害(拒食・過食)

<前回からの続き>

前回、

「刺激を求める傾向が強い人にとっては、退屈が苦痛になる」


「刺激を求める傾向が強い人(=”ドーパミンシステム”+
”(ノル)アドレナリンシステム”優位型)は、
「劣等感」や「怒り」、「不安」を作り出してでも、
そのシステムを作動しようとする傾向があるのではないか?

といった、私の推測をお書きしました。

そして、
その結果としてメンタル不調に陥ってしまう事さえあるのではないか?
と想像します。


今回からは、そういった傾向がある人が陥り易いメンタル不調(疾患)
のメカニズムとそこから脱するヒントをお書きしてゆきたいと思います。

今回はまず「(過食・拒食等の)摂食障害について
(刺激を求める傾向の強い)架空のA子さんを例にお書きしたいと思います。

※勿論、摂食障害の原因は様々だと思いますので、
 悩んでおられる全ての人に当てはまるとは限りません

「コロナで部活も少なくなったし、友人と遊びにも行けない・・・
  あ~、何か面白い事無いかなあ?」


→この段階でA子さんは刺激(=欲求)が満たされる事が減って、
 言わば「退屈」している状態だと思われます。

「このモデルさんはスラっとしていて素敵だなあ~。
 それに比べて私は綺麗でもないし、太ってるし・・・」

 「最近、コロナで家に居る事が増えたせいか、食べ過ぎて
  5㎏も太っちゃった。学校やバイト先で何か言われるのは嫌だなあ~」


→この段階では、他者から友情や愛情を得られないのでは?
 という「社会的欲求」が満たされなくなる不安
 他者から認められたり、尊重・尊敬されなくなるのでは?
 という「承認欲求」が満たされなくなる不安を感じている
 のではないでしょうか?

 そうして、
 他人と比べて自分(のある部分)が劣ってる、といった「劣等感」
 が作り出され「(ノル)アドレナリンシステム」が作動し、
 「不安」や「恐怖」、「焦燥感」といった不快感情が生み出される
 と考えられます。

「私も、このモデルさんみたいに痩せたいなあ~」

 「痩せてスタイルがよくなれば、みんなもビックリするだろうなあ~」

 「そして、素敵な彼氏ができたりして・・・」


→この段階ではそれらの欲求充足に意識が向かい
 「ドーパミンシステム」が働き、目標に向けてせっせとダイエットに励む
 でしょう。

「頑張ってダイエットに励んだお陰で、-5㎏を達成した!」

 「けど、モデルさんはもっと痩せてるし、5㎏くらいじゃ、
  誰も気づいてくれないかも知れない・・・」

 「だから、もっと痩せなきゃ!」


→この段階では、当初の目標が達成できた為に、
 「ドーパミンシステム」が停止し、
 また刺激不足(退屈)の状態に戻ったと言えるでしょう。

 だから新たに不安や劣等感を作り出して
 「(ノル)アドレナリンシステム」を起動させて、
 次の目標に向けて「ドーパミンシステム」も起動される筈です。

ここでもしA子さんが、この様なパターンを繰り返し続けると、
「ドーパミンシステム」が慢性的に活性化され続けると考えられます。

そうなると「ドーパミンシステム」の機能は徐々に低下し、
より「快」を感じにくくなるでしょう。

これを「馴化(慣れ)」と言います。


そして「馴化」が生じると、より強い「快刺激」を求める様になり、
この場合では「ダイエット(拒食)を止められない」という状態に陥る
事もあるでしょう。

これは「行為依存」とも呼べますが、
他の「ギャンブル依存」「買い物依存」「ネット・スマホ・ゲーム依存」
等も同様なメカニズムが考えられます。


また、「神経性やせ症」と呼ばれる状態になるくらい拒食を続ける、
意志が非常に強い人もいらっしゃいますが、

(以前にお書きした様に)「食欲」という「生理的欲求」は強力ですから、
多くの人は途中で「食欲」の方へドーパミンシステムが移行し、
過食してしまうと考えられます。


ところが過食し終えると、それ以上「ドーパミンシステム」が働かず、
元の「太る恐怖」による「(ノル)アドレナリンシステム」が
嘔吐や排出を促し、

「痩せて綺麗になり、認められる」といった報酬を求めての
「ドーパミンシステム」を作動させる状態に戻る

というパターンを繰り返すと思われます。(過食症・過食嘔吐)

次回は、

この考え方に基づき、「劣等感と自己愛性パーソナリティー障害」
についてお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/24 (月)

劣等感や怒りや不安を作り出す人

<前回からの続き>

前回、マズローの欲求5段階説を基に

「社会的欲求」や(人間のみが有すると思われる)「承認欲求」
他人と比べて劣ってるといった「劣等感」が形成されないと
不快刺激とは認識されずに、(ノル)アドレナリンシステムが作動せず、

→ドーパミンシステム→セロトニンシステムといった
欲求充足の行動を取る為の動機付けができないのでは?

そして、
「不安や怒りや劣等感」を作り出してでも、意欲や喜びや安心(=報酬)
を得ようとするのかも知れない、といった推測を述べました。

今回は架空のAさんの例で、その事を具体的にお書きしたいと思います。

Aさんは、
「家族の為に」と仕事を頑張り、職場で評価され、そこそこの役職を得て、
子供達の成長を楽しみに生きてきましたが、
数年前に子供たちは自立して家を出て行きました。

Aさんは仕事も子供の相手も一生懸命してきましたが、子も自立し、
30数年務めた職場でも先が見えてきて新たな目標や生きがいも見つけられずに
日々不安を感じるようになったり、イライラして奥さんにあたったり
する様になりました。


落ち込んだりイライラしてる夫に
奥さんは「男性版の空の巣症候群かしら?」と心配し、
「何か、趣味でも見つけたら?」と声を掛けますが、

夫のAさんは、
「うるさい!俺の人生は一体何だったんだろう?」
毎日の様に不穏な様子を見せます。


次第に奥さんは夫との心の距離を感じる様になってきました。

このAさんの例で申しますと、

Aさんは恐らく「家族を守る為」といった目標を掲げて仕事を頑張り、
「子供を一人前に育てたい」と子と関わってきた・・・。

→これは「欲求(快)充足」に向けてのドーパミンシステムが作動し、
 長期的にモチベーションを維持していたと考えられます。


そして、その為には「もし、家族を幸せにできなかったらどうしよう?」
とか「出世競争で同期の社員達に後れを取ったらどうしよう?」
という不安や、

「いやいや、絶対に同期には負けないぞ!」とか
「子供に無関心だった俺の親父の様にはならないぞ!」等といった、
「不安」や「闘争(怒り)」等の「(ノル)アドレナリンシステム」も作動し

その時々のモチベーションの維持にも役立ってきたのではないか?
と考えられます。


ところが目標を達成し満足した途端に、
ドーパミンシステムや(ノル)アドレナリンシステムが停止し、
「やる気」や「意欲」が失われていったのではないでしょうか?


勿論、
「やれやれ。子育ても終わって、あと5年で定年だ・・・
 あとはのんびり暮らそうかな?」
と思える人もいらっしゃるでしょう。


そう考えられる人は、恐らく「安心感・満足感・」を求める
「セロトニンシステム」が元々優位な人なのかも知れません。


でも、
Aさんの様に「やる気」「負けん気」「達成感」等の「快感情」を求める人は
元々「刺激」を求める傾向の強い「ドーパミンシステム」
及び「(ノル)アドレナリンシステム」が優位な人ではないか?
と考えられます。


だとすれば、
「刺激」がなくなってしまえば、それらのシステムが働かなくなるので、
常に刺激を作り出す必要があるのでは?と思います。


そして「劣等感」「怒り」「不安」
それらのシステムを作動させる為に用いられている”刺激”なのではないか?
と考えます。


つまり、
刺激を求める傾向が強い人にとっては、退屈が苦痛になるという事です。


※そういったタイプの人にはドーパミンの流量を減らす「安定剤」や
 セロトニンの流量を増やす「抗うつ薬」「抗不安薬」
 (=結果としてドーパミンが減る)等の薬剤の使用は逆効果になる
 かも知れません

次回からは、
この推測(あくまで私の仮説です)を基に、刺激を求める傾向が強い
(=「ドーパミンシステム」「(ノル)アドレナリンシステム)」優位型)
が故に「劣等感」や「怒り」、「不安」等に囚われる事が原因と思われる
メンタル不調を取り上げてゆきたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/21 (金)

劣等感は欲求を満たす為に作り出される?

<前回からの続き>

前回私の推測として、

「人は”報酬”を得る為に敢えて劣等感を作り出す
(或いは劣等感に意識を集中する)事さえあるのでは?」
とお書きしました。

もしそうだとすれば、何故わざわざ「劣等感」を作り出したり
そこへ意識を向け続けるのでしょうか?


まず、人(或いは動物)がどの様に欲求を感じ、それを充足してゆくのか?
というメカニズムですが、


①「不快刺激を感じる」(例えば空腹感)

②(ノル)アドレナリンシステムが働き、
 「戦う」か「避けようとする」意欲が湧く

更にそれ(不快刺激を避ける事による安心や欲求の充足)を得られる事
 を想像してドーパミンシステムが作動し、その行動を維持し続ける

④それを得られれば、セロトニンシステムが働き安心感や満足感を感じる


という流れが考えられます。




アメリカの心理学者であるマズローが唱えた欲求5段階説によると、

人は

①「生理的欲求」、②「安全の欲求」
③「社会的欲求」(所属と愛の欲求=友情・愛情・家族・社会)
④「承認欲求」、⑤「自己実現の欲求」といった5つの段階の欲求を持つ、
という事です。


この説を基に考えますと、

まず一番下位の欲求とされている「生理的欲求」
(食欲・睡眠欲・性欲・排泄欲・呼吸等)と

その次の段階の「安全欲求」(自分の心身や環境面での安全・安心)
については(他人と比べるものではないので)劣等感は生じにくい
と思われます。

(例えば、お腹が空いた=空腹といった不快、
 安全を感じない=不安という不快。つまり単なる”不快”や”不安”)

ここで動物の欲求を考えてみると、この段階で満足できる動物は
劣等感を意識しないのではないか?と推測されます。

例えば、猫やライオンが劣等感を意識しているとは考えにくい
のではないでしょうか?


ところが、
人間も含め霊長類等の社会性を持った動物は次の段階の「社会的欲求」
(自分が家族やどこかのグループに所属して貢献感や友情や愛情を感じたい)
については、それを得られていない場合は「自分だけ独りぼっち」等と
他人と比べて劣等感を感じ、それを求める方向に行こうとするのでは
ないでしょうか?

(勿論、サルが貢献感や友情や愛情を求めているかはわかりませんが)


更に次の段階の「承認欲求」(他者から認められたり、尊重・尊敬されたり、
自尊感情や自己有用感等を求める)は、人間のみが有する欲求
ではないでしょうか?

そしてその欲求が満たされないと劣等感を感じる筈です。


(最後の「自己実現の欲求」は他人と比べようがないので
 劣等感は不要だと考えられます)


それ故、
「社会的欲求」や「承認欲求」を満たす為には劣等感が必要なのではないか?
と思います。

何故なら、空腹感や(安全が脅かされている等の)不安感は
すぐに不快刺激として感知されるでしょうから
即座に(ノル)アドレナリンシステムを作動するでしょう。

一方、
「社会的欲求」「承認欲求」は他人と比べて劣ってるといった「劣等感」
が形成されないと不快刺激とは認識されずに、
(ノル)アドレナリンシステムが作動せず、

→ドーパミンシステム→セロトニンシステムといった、
欲求充足の行動を取る為の動機付けができないのでは?と思います。


そうなると、
(ノル)アドレナリンシステムによる意欲や、
ドーパミンシステムによる幸福感・喜び、
セロトニンシステムによる安心・満足が得られなくなり、

意欲の低下・喜び・の喪失、不安等の所謂「うつ状態」に近い状態になる
のではないでしょうか?


そうだとすれば、それが個体維持の危機だと認識されて、
「不安や怒りや劣等感」を作り出してでも、意欲や喜びや安心(=報酬)
を得ようとするのかも知れません。

その事について、次回更に詳しくお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/19 (水)

劣等感と怒り

<前回からの続き>

今迄お書きしてきました様に、

「劣等感」は、上手に活用すれば自身の目標達成喜び生きがい
達成感等の快の感情を得る為に必要不可欠なものだと思われます。


ところが、
その活用方法を誤ると自他を傷つける事に繋がったり、
所謂精神疾患と呼ばれるようなメンタルの不調に陥ってしまうのではないか
と考えられます。

例えば、

「妻や彼女に怒りをぶつけてしまう・・・」


「子供を叩いてしまう・・・」


「部下を必要以上に責めてしまう・・・」


こういった「怒りを止められない人」は、
相手をストレスの捌け口にしているのかも知れませんし、

その根底には「劣等感」「自己肯定感の低さ」が存在してる
のかも知れません。

(※自分が望むドーパミンやセロトニンを得る為の邪魔者と相手をみなし、
  邪魔者を排除する、という目的の為に怒りを使ってしまう場合もある
  と思いますが・・・)

もしそうだとすれば、

「何故怒りをぶつけるとストレスが解消されるのか?」

「何故劣等感があると怒りが出やすいのか?」

という疑問が湧いてきます。


私はそこには「ドーパミンシステム」とも言える
脳の神経回路の働き(報酬系)が関わっていると考えています。


そしてもし私の推測が当たっていれば、

”報酬”を得る為に敢えて「劣等感」を作り出す
(或いは劣等感に意識を集中する)
事さえあるのでは?と考えてしまいます。


もしそうであるのなら、

何故わざわざ「劣等感」を作り出したり、
そこへ意識を向け続けるのでしょうか?

私なりに考えたその理由をお書きしてゆきたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/17 (月)

劣等感を快感に結びつける

<前回からの続き>

前回、「劣等感を克服する」一方法をお書きしましたが、
その”ミソ”(ポイント)は”快”(ドーパミンのシステム)を利用する事
だと思います。

どういう事かと言いますと、

例えば、「人には白血球の血液型とも呼ばれるHLA遺伝子の型があって
自分とできるだけ異なる型の異性を無意識に求める傾向がある」
と述べました。

ここで言う「無意識に求める傾向」とは、
「この人に魅かれてしまう!」とか「この人と一緒に居たい!
等といった所謂「快感情」(ドーパミンが放出される)によるもの
だと考えられます。

或いは、

「お腹が空く」(不快)は「食べ物が足りない・欠けてる状態」
と言えると思いますが、

「お腹いっぱい美味しいごはんを食べたい」と食べたい食べ物の事
を考えてゆくと、ドーパミンシステムが作動し快感情が訪れる筈です。

もしそうであるならば、

「自分に足りないもの・欠けてるもの」に意識が集中している状態
「劣等感」だとすれば、

同様にドーパミンシステムを作動させて、自分に足りないものを
「無意識に求める傾向」を作り出せば良いのではないか?と考えます。


前回お書きした「劣等感を克服する方法」を例にしますと、

「自分が既に持ってるもの」と「持ちたいけど今は未だ持っていないもの」
 をできるだけ沢山書く


→例えば、「プチ整形」だけだと、整形が終わった途端に
 ドーパミンシステムは働かなくなると考えられますので、
 他の目標も用意しておく必要があると思います。

「それを得た時」の未来を想像して「ワクワクする」度合いが一番高いもの
 を選ぶ。


常にそれを得た未来の自分をできる限り具体的に想像し続ける


→お腹が空いてる時に、「あれ食べたいなあ」「あ、あれもいいかなあ」
 と考えている時はドーパミンシステムが作動していると考えられます。

 だとすれば、ワクワクする目標を追いかけている時にも
 ドーパミンシステムが働いて、目標に向けて引っ張ってくれる
 のではないでしょうか?

「自分が既に持ってるものと対立するもの」や
 「快の感情を妨げるもの」はなるべく選ばない


→例えば、「痩せたい」けど「食べたい」といった快感情が対立すれば、
 どちらも得られないどころか、メンタル不調に陥る事も考えられます。

所謂「摂食障害」に陥っている方は、
 最初は「痩せてもっと綺麗になりたい」等といったドーパミンシステム
 に則った目標であったのかも知れません。

 ところが、食欲という対立する快感情に負けてしまいます。

 これは恐らく生存欲求に纏わる部分には、ドーパミンシステムの
 ニューロンが一番発達していて最も力を持っていると考えられますので
 勝てない訳です。

 そして今までの不足分を一気に食べてしまう・・・。

 でも、食べ終わるとドーパミンシステムは作動しなくなりますので、
 元々の「痩せたい」という目標によるドーパミンシステムに戻ってしまい、
 嘔吐したり拒食に陥ってしまう、という事を繰り返している
 のではないかと思います。


 
日々実行の結果を評価する


→お書きした様に、短期的な目標では(例:プチ整形)
 すぐに目標に到達できますが、その途端にドーパミンが出なくなる
 と思われます。

 一方、長期的な目標ではモチベーションの維持、即ちドーパミンシステム
 を作動させ続ける為には工夫が必要だと思います。

 ですから、目標を細分化し日々の進捗を評価してゆく事も大切
 だと思います。

 (他者評価・自己評価によってもドーパミンシステムが作動する事が
  期待できると考えられます)

 

もし、一人では難しい場合はお気軽にご連絡下さい。

次回からは、劣等感の活用の仕方がうまく行かずに自他が苦しむ様な
メンタル不調に陥ってしまう例をお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/14 (金)

劣等感を克服(活用)するには?

<前回からの続き>

前回お書きした様に、

「劣等感」とは「自分が持ちたいと望んでるものが、今は未だ得られていない
から生じるのであって、そこにはそれを得たいという強い欲求がある」

そして、
それは人間(遺伝子?)にとって必要不可欠なものと言えると思います。

でも、
「私はそれを持っていない」「私には欠けている」という思考に
留まり続けると、しんどくなってしまいます。

そういった方はどうすれば良いのでしょうか?

今回は(私見ですが)、そのポイントをお書きしたいと思います。




<劣等感を克服する方法>


①自分の個性を整理する


「自分が既に持ってるもの」「持ちたいけど今は未だ持っていないもの」
に分けてできるだけ沢山箇条書きしてゆきます。


例;「持ってるもの」=「英語が得意」「毎月20万円稼いでる」「優しい」
・・・


  「今は未だ持っていないもの」=「社交性」「彼氏」「美貌」「注意力」
・・・

②「自分が既に持ってるもの」を伸ばす


(1)「持っているもの」を伸ばした未来の自分を想像した時に、
  一番ワクワクするものをまず一つ選びます。


例:「英語力をもっと伸ばせたら、アメリカへ留学して
   向こうで彼氏を作って・・・
   通訳の仕事なんかができたらいいなあ~!!」

③「今は未だ持っていないもの」を得る事を目標にする


(1)「それを得た時」の未来を想像した時に、
  余りワクワクしないものは除外します。


(2)残った項目の中で、「自分が既に持ってるものと対立するもの」
 「快の感情を妨げるもの」はなるべく選ばない様にします。


例1:「(本当は独りが好きなのに)社交的になりたい」
  →社交的になる前に、独りの喜びを増やし充実させてゆく方が先決
   だと思います。

例2:「(食べる事が好きだけど)痩せたい」
  →これも避けた方が良いと思います。

④目標を意識し、できる事から実行してゆく


(1)「②」「③」の中で、「ワクワクする」度合いが一番高いもの
  まず最初の目標に据え、常にそれを得た未来の自分を
  できる限り具体的に想像し続けます。


例1:友人のA子みたいに綺麗になれたら、世界が変わりそう・・・、
  イケメンの彼氏ができたら、一緒にあそこへ行ってみたいし、
  同棲して、朝ごはん作ってあげて・・・「キャッ」。


(2)その目標に向けて、今できる事をできるだけ具体的に書き出します。


例:「小顔エステに行く」「化粧に力を入れる」
  「自分を引き立たせる髪型を探す」「ファッションをもっと研究する」
  「仕草・振舞いを勉強する」「表情筋のトレーニングをする」
  「プチ整形する」


(3)その中から、まず一番簡単にできる事から少しずつ実行してゆく。

⑤日々実行の結果を評価してゆく


例:今日は自分の顔の中で唯一嫌いじゃない唇を引き立たせる
  リップの色や塗り方を試行錯誤した。


※自分ではどうしても得られないものについては、
 他人の力を借りたり、協力し合うという事も大切だと思います。
 (・・・遺伝子の働きがそうである様に)




以上、「劣等感の克服」の為の方法(あくまで一つの方法です)を
お書きしましたが、

私が思うにそのポイントは、快刺激・快感情と密接な繋がりがある
「ドーパミン」のシステムを利用する事だと思います。


その辺りを次回お書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/12 (水)

劣等感は遺伝子に組み込まれている?

「あの娘は、いつも明るくてみんなの人気者だ・・・
 それに比べて私はネガティブでいつも独りぼっち・・・
 本当はみんなと仲良くしたいのになあ~・・・。」


「同僚のA子は仕事ができて、いつも上司に褒められてる。
 それに比べて私は、またミスしちゃって怒られた・・・
 私なんて何やってもダメな人間なんだろうなあ~・・・。」


「友人のB子は綺麗でスタイルが良くて、
 男の子達にもいつもちやほやされてる・・・

 それに比べて私は綺麗じゃないし、スタイルも良くなくて
 性格もひねくれてきて、男子からも相手にされない・・・
 あ~何でこんな不公平に生まれて来たんだろう?・・・。」

多くの方(もしかしたら動物も?)が多かれ少なかれ、他人と比べて
自分(のある部分)が劣ってる、といった所謂「劣等感」を持っておられる
と思います。


この「劣等感」は言い換えれば、
「自分が持ちたいと望んでるものが、今は未だ得られていない」
から生じるのであって、

そこには「それを得たい」という強い欲求があると言えると思います。


だとすれば、その”強い欲求”は何処から来ているのでしょうか?

私はそれは既に「遺伝子にインプットされている」のではないか?
と想像したりしています。


人間や生物は「自分の遺伝子のコピーを残し続ける」という強い傾向が
遺伝子の中にインプットされていると思われます。(利己的遺伝子論等による)


もしそうなら、
そもそも異性から選ばれないと自分の遺伝子のコピーを残せませんので、
自分に欠けているものを自覚しそれを得る事で、
選ばれる確率を高めようとするのではないでしょうか?

一方、
選ぶ側も自分の遺伝子のコピーが子孫代々残り続ける(選ばれ続ける)
確率を高めるには、

「自分に欠けている部分を持つ相手」「より頭のいい相手」
「より強い♂」「よりイケメンな♂」「より資産が多い♂」
「より優しい♀」「より綺麗な♀」を求めるのは当然だと思います。


更に、
白血球の血液型とも呼ばれるHLA遺伝子の型は約16,000種類ある
と言われ、自分とできるだけ異なる型の異性を無意識に求める
という傾向がわかってきました。


それは、そうする事で子孫の免疫力をより強める事に繋がる様です。

(これも自分に足りないものを認識し、それを埋めてゆこうという傾向
 とも言えると思います)

ですから私は「劣等感」は人間(遺伝子?)にとって必要不可欠なもの
だと思います。

ところが、
上記の例の人の様に「劣等感」に留まり続けると
メンタルの不調に陥ってしまう事もあるでしょう。


そういった人はどうすれば良いのでしょうか?


その辺りを次回お書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2021/5/10 (月)

HSPの人は何故水と相性が良いのか?~適度な刺激

HSPの人は「渓流」「滝」「海」等の水と相性が良いと言われています。

私自身も昔から渓流や滝に魅かれていましたが、何故そうなのか?
を私なりに考えてみました。

人間や動物は「快刺激」を求めて「不快刺激」を避ける傾向が
遺伝子にインプットされていると思われます。


ところが、HSPの人は刺激に対する感受性が高く
容易に刺激(快刺激でさえ)に圧倒されてしまうと考えられます。


だとすれば、不快刺激を避けると同時に、自分にとって「”適度”な快刺激」
を得る事を希求するのではないでしょうか?


例えば、刺激が強すぎる光景・風景を避け、不快な音や声、匂い、感触
から離れた自然の中・・・。

新緑が芽吹いている山の中の渓流。

聞こえてくるのは、鳥達の微かな囀りと水の流れる音・・・。

太陽の温かさとさわやかな風を感じ、
どこからともなく漂ってくる花の匂い・・・。

刻々と微妙に変化してゆく水の流れと水音・・・。

上の情景で言いますと、

(自然が好きな人にとってはですが)殆ど変化しない快刺激
刻々と微妙に変化してゆく快刺激(水の流れ)の両方のバランス
その人にとっては絶妙に取れているのだと思います。


私は「変化がない快刺激」(刺激が非常に少ない)
に加えて変化する快刺激(刺激が多い)も必要だと思います。

例えば、大地に寝っ転がって(変化しない快刺激)
雲の動きを見る(変化する快刺激)のが好き、

とか
自室で独りで(変化しない快刺激)、
ヒーリングミュージックを聞く(変化する快刺激)のが好き
というHSPの人もいらっしゃると思います。

そしてもう一つ大切な事は、
「変化する快刺激」が自分にとって大きすぎるとダメ
という事ではないでしょうか?

例えば、滝が好きな人でも、雨後に爆音と共に流れ落ちる滝や
台風が迫って、凄い勢いで流れる雲や大音量のヒーリングミュージック
は刺激が強すぎるのでは?と思います。


但し、より刺激を求める傾向の強いHSS型HSPの人は、
沢歩きを楽しんだり、泳いだり、台風の強風の中に外に出てみるといった、

アドベンチャラスな要素が入った方が
その人にとってのバランスの取れた適度な刺激となると思います。

要するに、自分に合った”適度”な(特に)「変化する快刺激」を
見つける事ができれば素晴らしいと思います。



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2021/5/7 (金)

HSPの人は何故深く考え意味づけを行うのか?

「あの人は私を嫌っているに違いない」


「私は本当にダメ人間だ」


「きっと私は見捨てられる」

HSPの人の中で生き辛くなっておられる方の多くが、

上記の様な「他者」「自分」「世の中・世間」に対して否定的な結論
を持っておられると思います。


そしてこの結論HSPの人の気質の一つである、「D」(深い処理)
を行った結果であると考えられます。


勿論、この「深い処理」「私の人生の意味とは?」とか
「この仕事をする意味とは?」等の「生きがいや意味の追求」
という方向にも向かう事ができますし、

「この人は信頼できる」とか「人として世の中に貢献しなきゃ」
等の肯定的な結論を導き出す方向にも向かう事もできるでしょう。


※生き辛さを抱えたHSPの人がそこから抜け出すには、
 4つの気質のうち「O」「E」「S」は環境調整等の方法に頼らざるを得ない
 と思いますが、唯一この「深い処理」の仕方を変える事によって結論を変え、
 今の環境のままでも、生き辛さから抜け出す可能性を秘めていると思います。

それでは、
何故HSPの人はそうでない人に比べて「深い処理」を行い、
意味づけをし結論を出してゆくのでしょうか?


私見ですが、
それはHSPの人の「S]の感度の鋭さと「O」の刺激に過敏という気質
が関係しているのでは?と思います。

どういう事かと申しますと、

「S」の感度の鋭さを持ってるが故に、
相手の表情や声・話し方、態度・雰囲気等の微妙な変化や違いといった、
「情報」を大量に得てしまう。


→それを記憶のフォルダーに整理して納めてゆかないとたちまち混乱状態、
 即ち「刺激過多」になり神経が高ぶり、「強い感情反応」が出てしまい
 圧倒されてしまう。


→だから、
「この人は私の事をこう思ってる人だ」とか「私はこういう人間だ」とか
「世の中はこういうものだ」とか「私の人生の意味はこうだ」等と
 結論を出しておかないと、

 刻々と変化しながらインプットされてくる大量の「情報」が
 整理できなくなるのではないでしょうか?


→そしてこの結論は、言わば録画した映画のDVDのタイトルみたいなもの
 なのかも知れません。

 というのも、大量の映画を録画して観たとしたら、
 「この映画は動物との心温まる映画」とか「ハラハラドキドキするが、
 犯人が猟奇的で観終わると怖くなる」とか「家族愛を描いてるが
 最後は悲しい結末になる」等と、

 ちゃんと内容の要約(=結論)をしてタイトルをつけておかないと、
 後から観返す時にその時の気分にそぐわないものを観てしまうと、
 刺激過多になって、容易に圧倒されてしまうかも知れません。


→それと同様に「この人は私を嫌っている」とか「私はダメ人間だ」とか
 「きっと私は見捨てられる」等と結論を出しておく事で、
 相手の一挙手一投足に圧倒されなくて済むのではないでしょうか?

 或いは、
「私の人生の意味は〇〇だ」「この人は信頼できる」という結論
 を出しておけば、イレギュラーな変化や刺激にも圧倒されなくて済む
 のでは?と思います。

 
そう考えると、HSPの人はこれらの結論を容易に覆す事は難しいと思います。

何故なら、
結論を書き換えると「情報過多・刺激過多」といった無秩序な渦の中に
再び引き戻されてしまうからだと思います。


※「この人は信頼できる」という結論を持ったら、
 相手の事を信じ切って騙される事もあると思います。


但し、結論=DVDのタイトルであるならば、それを貼り替えてゆく事は可能
です。

詳しくは以前のコラムをお読み頂くか、お気軽にお問合せ下さい。



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2021/5/5 (水)

相手の顔色を見過ぎてしんどい人の2つのタイプ

「今朝私が声を掛けたら、Aさんは一瞬顔を曇らせた・・・
 私が何か気に障る事をしちゃったのかなあ」


「通りすがりの人が私とすれ違った時に小さく舌打ちをした・・・
 きっと私の事を変だと思ったに違いない」

HSPの人は「S」(感度の鋭さ)で、相手のちょっとした表情の変化や、
仕草・態度、声・音のいつもとの違いに気が付く筈です。


そして「愛着の問題」「心の傷」を抱えている場合は、
偏った「D」(深い処理)によって、

「私は嫌われる」「私はダメだ」「私は変だ」等の「結論」に至り、
生き辛さを感じる事になる人も多いと思います。


同様に、
HSPの4大気質のうちの「S」の共感力がそれほど強くはなく
非HSPと思われる人の中にも、

「感覚過敏」と深い処理に匹敵する「こだわりや集中力が強い」
といった気質を持って生まれ、

恐らく「愛着の問題」「心の傷」を負ったがために、
相手の顔色や言動に敏感に反応し、それをネガティブに捉えてしまい、
苦しんでおられる方も見受けられます。


しかもそういった方は、

(非言語的)コミュニケーションができない訳ではなく、
DSM-5によるASD(自閉症スペクトラム)の診断基準の一つである、
「社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害」には
そこまで強く該当しないと感じます。


エレイン・アーロン博士も

「ASDの知覚過敏は、
社会的な手掛かり(例えば相手の表情等の非言語的コミュニケーション)
になる様な刺激には反応しない」

と述べられておられます。


という事は、
そういった方は共感力はそれほど強くなく
「自分がどう思われてるか?」といった自己評価にのみ敏感であるが故に
HSPから除外されるが、

上述の理由からASDにも該当しないと考えられます。


精神科医の岡田尊司先生は、

「現在の安全基地(心の拠り所)が無い事(愛着の問題)と
 過敏性の亢進は関連性が強い」

「過敏性を持った人は、心の傷を引きずってしまう人が、
 過敏性を持ってない人の8倍存在する」

という主旨の事を述べられています。


つまり、
過敏性を持って生まれると、「心の傷」や「愛着の問題」が生じやすく、
逆に「心の傷」や「愛着の問題」を抱えていると、過敏性が亢進し易い、
と言えると思います。

あくまで想像ですが、

「感覚過敏」と「こだわり・集中力」を持って生まれ、
環境によって「愛着の問題」や「心の傷」が生じ、

不安や恐怖を回避する自己防衛から、
脳の特定のニューロンが発達して行ったのでは?と思います。

いずれにしても、
私の臨床経験から、相手の顔色を見過ぎてしんどくなってる人は

①HSP+「愛着の問題」や「心の傷」

=共感+顔色を見て相手の反応をネガティブに捉える


②(感覚過敏とこだわり・集中力を持ってる)非HSP
 +「愛着の問題」や「心の傷」

 =顔色を見て相手の反応をネガティブに捉える

の二つのタイプに分かれると思います。

もしそうであるならば、
二つのタイプに共通する「愛着の問題」と「心の傷」を改善・解決し、
ネガティブな自己像を変えれば、

持って生まれた高性能センサーの向きが変わり、
センサーの反応も穏やかになり、
感覚過敏や自己否定も治まってゆくと考えられます。



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2021/5/2 (日)

HSPの人の敏感力と非HSPの人の鈍感力

「あなたは気にし過ぎよ!なる様にしかならないって、
 もっと気楽に考えたらいいのに・・・その神経質な所を変えた方がいいわよ」


「あなたはなんて鈍感なの?!いつも思い付きで行動して・・・
 もっと現実を見なきゃだめでしょ?!」

人には「敏感な人」「鈍感な人」がいると思います。

(勿論、その度合いは人によって様々だと思いますが)


もしあなたが極端に敏感であったり、逆に極端に鈍感であって
そんな自分を否定したり、他人から否定されてるとすれば
「変えようと思っても変えられない性格」に悩んでおられるかも知れません。


そして、生まれ持った気質を否定したり、活かす事ができないと
折角授かった才能を持て余してしまうといった、大変勿体ない事に
なってしまうのでは?と感じます。

例えば狩猟時代

「遠くで肉食獣の鳴き声が聞こえたぞ!獣の匂いがする!獣が潜んでいる
 気配がする」等と敏感力で種族の人達の危機を救っていた人もいたでしょう。


そしてそれとは逆に

「大丈夫だって!俺は獣なんて怖くないぞ!」

と勇猛果敢に狩りに出て獲物を仕留める人もいたと思います。

また例えば戦国時代

「もし敵が裏から襲って来たらどうしよう?・・・どう防げばよいか?」
等と敏感力であらゆるリスクを想定して、策を練っていた策士も居た
でしょうし、

「主君の為!」と先陣を切って敵に立ち向かう、命知らずの男達もいた
と思います。

或いは高度経済成長の時期にも、

大局を見てリスク管理をする人
第一線で我武者羅に働くビジネスマンや労働者もいた筈です。

そう考えると、敏感力が強い人に

「何ぼやぼやしてるんだ?!ビビッてないでお前も獣に立ち向かえ!」

「弱虫!お前も主君の為に、命を捧げろ!」

「机にしがみついてないで、現場に出ろ!金は現場に落ちてるんだ!」

等と言ったり、


逆に鈍感力が強い人に

「あらゆる所に獣が潜んでると思ってもっと慎重に狩りをしろ!」

「向う見ずに戦をするな!自分の命を大切にしろ!」

「あらゆる場面を想定してから営業に行け!」

「今造ってるものの意味を考えながら造れ!」

等と言われると、大きく効率が落ちるでしょうし、
種族や国や企業は危機に陥るかも知れません。

つまり、

「敏感力」が強い人と「鈍感力」が強い人が居て初めて
その種族や国や企業が栄えてゆくのだと思います。


ですから、
「お前の敏感力で助かった!」
とか
「お前の行動力と勇気は俺にはとても真似できない!」

等とお互いに尊敬・尊重し合える事が理想だと思います。

少なくともそんな「力」を持っている自分の事を
どうか否定せずにそれを活かす場を見つけられます様に。

※中には「敏感力」「鈍感力」の両方を持っている人もいると思います
 ・・・羨ましい!(笑)



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