KYって・・・イジメ問題に一言
KYって・・・イジメ問題に一言
目次
今回は思った事を勝手に書いてしまいます・・・いつもか(笑)
「空気が読めない奴」、「あの子って、変!」、「あいつ、キショイ!」
今も昔も周りと少し違った個性を持った、所謂”少数派”の人は、
学校でも社会でもイジメられたり、排除されがちだ。
そして、そういった”少数派”の人達の心はどんどん傷つけられてゆく。
「イジメを無くそう!差別を無くそう!」と
高らかにスローガンだけ掲げてみても、効果は期待できない。
一方、少数派の人も「自分は自分でいいんだ」と、
その逆境に立ち向かおうとするが、その道はとても険しいものになるだろう。
教育界が「イジメや差別を無くそう!」と躍起になっても無くならない
のは何故だろう?
それは理屈で「イジメは良くないものだ」とか「相手の気持ちを考えなさい」
なんて言ったところでイジメる側、差別する側には「理屈じゃない感情」がある
からだと思う。
「屈じゃない感情」・・・それは恐らく「恐怖」なのかも知れない。
もしそうならイジメる側が持ってる「恐怖」の感情とは何だろう?
それは例えば、
「私は太ってる」、「僕は頭がよくない」、「気が弱い」、「根暗だ」、
「家が貧乏だ」、等から始まって、「私の目は一重だ」、
「私はファッションセンスがない」、「僕の髪はどうしようもない程の天パーだ」
等の細部に至るまで・・。
恐らく自分自身がひた隠しにしたい「個性」というコンプレックスが
露呈する事を極端に恐れていてそれが「恐怖」という感情になっている
のではないだろうか?
そして、その「恐怖」の感情を避ける為に
「変なのは私じゃなくて、あの娘が変なのよ!」と、投影してしまう・・・。
もしそうだとすれば殆どの人が持ってる、この「恐怖」を何とかする事
が先決だと思う。
ただ、そうなると事は大事になるだろう。
だって、その恐怖は「世間体」や「社会の常識」、「社会の流行」
といったものから来ている事になるからだ。
「人として”正しい”考え方、生き方」、「”正しい”性格・個性」、
「”正しい”振る舞い方」、「”正しい”体型・ルックス」、
「”正しい”ファッション」、「”正しい”趣味」・・・(笑)。
そういった価値観に対抗して行かなければならない。
勿論、最低限の社会のルールは守らなければならないと思うが、
そういった”正しさの規範”が余りにも多く作られ過ぎているのではないだろうか?
そして、そういった”正しさの規範”がこの資本主義社会の中で、
誰かが利益を得る為に今もどんどん作られているとしたら?・・・
もしそうなら、マスメディアや企業、政治家から始まって
資本主義社会の在り方そのものを変革してゆく必要があるのかも知れない。
「みんな、そろそろ気付こうよ!」って言っても難しいか(笑)
政治家だって経営者だって、みんな心の中に「恐怖」を抱えている限り難しいな。
だとすれば早急の変革よりも、まずは家庭教育や学校教育から始めた方が良い
かもしれない。
そういった事の一助になる活動を将来的にはしたいな。
※僕はそのメリットも享受しているから資本主義がダメだとは思っていません。
ただ、その在り方やデメリットの部分が問題で、
それは資本主義という枠内の中でも変え得る事ができると信じています。
何故歳を取ると頑固になるのか?
「歳を重ねると、どんどん頑固になってゆく・・・」
「頑固親父!」
よく「人は歳を取れば頑固になる」と耳にします。
かく言う私自身も、ある部分は頑固になって来てる気がします。
(元々頑固、”へんこ”ですが(笑))
人は誰でも人生の中で、
不安や恐怖、喪失感・悲しみ・絶望・無力感、焦燥感、恥等の
様々なネガティブな感情を感じたり、体験してきた筈です。
そして、
それによって不安定になった心身を「いかに安定させるか?」
という様々な戦略(捉え方・考え方・心の持ちよう、等)を試してきて、
年齢と共に自分にとってベストな戦略が身について来るのだと思います。
「こうすればうまく行った!」「こう考えて乗り越えて来た!」
・・・つまりその戦略に自信を持っている訳です。
そうして、
歳を重ねるに連れ、人生で一番の喪失である”死”の恐怖が近づいて来た時に
今迄培ってきた戦略で完全武装して、それに備えてゆくのだと思います。
だとすれば、
そこにとことん拘って、”頑固”になってゆくのも頷けます。
ただ、
「不快刺激をシャットアウトして安定するタイプ」
(=私が考えるGABA・セロトニン型)の人は
それだけもでいいのだと思いますが、
私の様に「快刺激を得て安定するタイプ」(ドーパミン型)も併せ持つ人は、
常に新奇の刺激も必要になると思われますので、
好奇心・向学心・楽しみを持ちつつ、頑固な部分と柔軟な部分といった、
硬軟織り交ぜた複雑な老人になってゆきたいと思っております(笑)。
何故ルール・法令・規範を破る人にイライラするのか?
「みんなちゃんとホームで順番に並んでるのに、
あのオッサン、何で横入りするの?!蹴っ飛ばしてやりたい!」
「横断歩道の信号がまだ赤なのに、何であの子は渡っちゃうの?!
しかも親は何にも言わない・・・文句言ってやろうかしら?!」
「ぶつかりそうになったから私が立ち止まってよけてあげたのに、
このおばさんは何で会釈もぜずに当たり前みたいな顔して
そのまま通り過ぎて行くの?!ムカつく!!」
ルールや規則・法令・道徳等、所謂「常識的に」守らなければいけない事に
反している人に対しては誰しも大なり小なり「イラ」っとするものだと思います。
ただその怒りが度を越して、
ややもすればトラブルになり兼ねないレベルまで行ってしまい
「あれ?私最近おかしいな・・・疲れてるのかな?」
と感じる場合は注意信号だと思います。
では何故ルールを守らない人に対して、必要以上に怒りが出てくる
のでしょうか?
私が思うにそれは以下の理由に依ると考えます。
①刺激を求める傾向が生まれつき強い人が、勝ち負けに拘る様になり、
相手に勝つ事で(快の)刺激を得るというパターンを身につけた。
②そういったタイプの人に刺激が満たされない状態が続く。
(まさにここ最近はコロナ禍によって、飲み会や友人との遊び、
旅行や運動等が制限されて刺激が満たされない事が増えていると思います)
③そういった時に「相手に勝つ事で刺激を満たす」という
よく使うパターンを持ち出す。
④「勝つ事」で強い快の刺激が得られる訳だから、絶対に勝つ勝負を探す。
⑤「ルールや法令。道徳」等は皆が認める「正しい事」なので、
そちら側に立ってそれらを破っている人と勝負すれば、必ず勝利が手に入る。
ただし、トラブルや喧嘩になる事を避けたいのであれば、
持って生まれて刺激を求める傾向が強い人は、
別の方向で刺激を得る様にすれば良いと思います。
そうしないと、
「正義・正論を振りかざして相手をやっつける事」によって
快の刺激を得るパターンが定着してしまうと、
そのやり方がどんどんエスカレートしてゆくと思います。
(近頃で言うと、まさに「コロナ警察」になってしまう人等もそれにあたる
と思います)
時として、「正義は麻薬である」・・・。
小田急線刺傷事件の犯人の心理
先頃発生した小田急線における無差別刺傷事件の犯人の心理を
私の勝手な想像で分析してみたいと思います。
関係者の話では犯人の男性は、
「学生時代は皆を笑わせたりするクラスの中心的な存在だった」
「大学中退後はナンパ師と自らを称していた」
「中退後はきつい派遣の仕事をしたり、金に困って生活保護を受給していた」
「”勝ち組”を殺したかった」旨の供述をしている
等の点から、常に刺激を求めるタイプの人物像が想像されます。
特に、
その場(相手)を支配し、コントロールする事に快の刺激(報酬)を感じ、
その報酬の得方が「皆を笑わせ、場(クラス)を支配・コントロールする」
↓
「ナンパする事で、相手を支配・コントロールする」
(特に比較的コントロールがし易い中高生がターゲット)
という行動にも表れている様に感じます。
ところが、
大学を辞めて以降は、就職したり彼女ができてゆく同級生を尻目に、
自分は辛い派遣の仕事やバイトで「相手を支配・コントロールする刺激」
が得られないどころか、逆に「支配・コントロールされる立場」
になった・・・。
そしてこの刺激が満たされないモヤモヤを
(お腹が空いて満たされない感覚を怒りだと認識し、イライラする人の様に)
「怒り」だと認識した。
そしてそれを「怒り」だと(認識)すれば、
それをぶつける対象があって初めて完結できる
(相手を支配・コントロールするという報酬が得られる)ので、
その「怒りの対象」を見つけ出す必要があった。
そこで、
過去の記憶をまさぐって、「サークルで一緒だったあの女は俺を馬鹿にした!」
→「だから勝ち組(俺より勝っている=俺をコントロールしてくる)
の女は許せない」という後付けの理由を探し出した・・・。
そして、
長らく味わえなかった「その場や相手を支配・コントロールする快感」
を閉じ込められた空間で絶対的に勝ち目のある武器を携えて
手に入れようとしたのではないか?と想像します。
だとすれば、昔の友人が証言した様に「ある時から彼は変わってしまった」
のではなく、
(彼が変わったのではなく)刺激の得方が変化したのだと言える
と思います・・・しかも悪い方向へ。
勿論、元来刺激を求める傾向が強い人が皆犯人の様な思考→行動
を起こす訳ではありませんので誤解無き様に。
また、犯人を擁護する気持ちもさらさらありませんが、
「仕事や趣味でトップを目指す」とか「金の亡者になって稼ぎまくる」、
「世界一のナンパ師を目指す」等、刺激を満たしたい欲求を別の方向へ
向ける事ができれば良かったのかも知れません。
いずれに致しましても、被害者の方の一日でも早い心身のご回復を
お祈り致します。
ストレスは健康の為になる?
以前、NHKテレビで心理学博士のケリー・マクゴニガル女史が興味深い発表
を行っていた。
アメリカの成人3万人に8年間に渡ってストレスと健康の因果関係を探る調査
を行った。
最初に過去1年間のストレスを感じた度合と
「ストレスが健康の害になると思ってるか否か?」を聞いた。
そしてその後の追跡調査によると
ストレスを多く感じて、且つ「ストレスは害だ」と考えてる人の死亡リスク
は43%増加したそうだ。
逆に、ストレスが多くても「害だと思ってない」と考えてる人の死亡リスク
が最も低かったそうだ。
そして、「ストレスが害だ」と信じる事によって、
アメリカでは年間約2万人の人が死亡していると推定されているそうだ。
実際、緊張や不安等で心臓がバクバクし、呼吸が速くなり汗が出ると
「不安やプレッシャーに負けている証拠」と感じ、それを抑えようとするだろう。
(でも、多くの場合は抑えられるどころか増々バクバクが続いてしまいますよね?)
ところがこの身体の反応を「課題に取り組む為に身体が活性化された」と
とらえる様にすると、どうなるのか?
その研究がハーバード大学で行われた。
そこでは被験者は「ストレス反応は有用なもの」と教えられた。
ー 心臓のバクバクは準備している証拠。
速い呼吸は脳にたっぷりと酸素を送ってる・・等と。
そして、そう考えた被験者達は不安が軽減されただけでなく
実際に身体反応も変化したらしい。
通常のストレス反応では、血管が収縮し、その為に心血管疾患に繋がるのだが、
「ストレス反応は有用」と意味づけされた被験者の心臓はバクバクにてるのに
何と血管は収縮しなかったそうだ。
そしてこの状態は喜びに満ちてる時や勇気に満ちてる時の状態と似ているそうだ。
彼女の発表を見た時に思い浮かんだ事はフランクルの逆説志向や森田療法の事だ。
通常、不安や緊張に襲われて困ってる人は
それを「止めよう止めよう」としてドツボに嵌ってしまう。
もしかすると、その「止めよう」と思う事自体が血管を収縮させてしまうのでは?
と勝手に推論しました。
一方「逆説志向」は止める事の反対で
「もっと緊張や不安を高めて、笑えるくらいの大げさなストーリーを描く」
という方法を採りますし、
森田療法でも緊張や不安等を抵抗せずに「あるがまま」に受け入れようとします。
もしかするとそうやって行けば、血管が収縮する事なく最早ストレスは害ではなく
(生理的には喜びや勇気に満ちた状態になるとすれば)心身の健康の為の
素晴らしいギフトになるのかも知れません。
譬えて言えば、強制労働で毎日重いものを運んだり上げ下げさせられてる人と、
「筋肉を鍛えよう」と毎日同じ負荷のバーベルやマシンに向かってる人は
まるで違う結果になると思います。
そういった意味では、いかに「意味づけ」が大切か?
を改めて感じた発表でした。
#うつ病のカウンセリングについては、
こちらにお書きしてますので、ご参照ください。
片付けられない人の心理
「部屋がゴミ屋敷の様になってしまい何とか整理したいけど、できない。
自己嫌悪に陥っています」
最近は「汚部屋」とか「片付けられない女」「片付けられない症候群」等と言う
言葉と共にそういったお悩みを抱えてられる人も増えているのでは?と思います。
僕自身も独身時代は、かなり部屋が汚く(笑)綺麗にする為に敢えて友人を招待した
ものです。
では、何故そうなってしまうのでしょうか?
※これは、あくまで僕自身の経験とお客さんの例から推測した内容です。
まず「片付けられない人」を大きく分けると
「片付けられない自分を責めている人」~「全然気にしてない人」に分かれる
と思います。
①片付けられない自分を強く責めている人
→このタイプの人は「片付けなきゃいけない」けど、「何を捨てたらいいのか
わからない」「どこから手を付けていいのかわからない」 と感じている人
が多いのではないでしょうか?
こういった人の多くはもしかしたら「完璧主義」なのかも知れません。
元来、仕事や人間関係等においても「完璧でなきゃ」で無理を重ねる。
そして部屋の整理も「完璧にきれいにしなきゃ」と自分にプレッシャーを
かけてしまい”完璧に”「いる物、いらない物」を分けて「捨てるもの、残す物」
を”間違いなくやらなきゃ」と思うとわからなくなってしまう。
しかも他の部分での完璧さは妥協できなくても自分の部屋の完璧さは
まだ妥協できる・・・。
だから「完璧さのバリア」が一番手薄な所で息抜きできるというメリットもある。
②片付けられない自分を少しだけ責めてる人
→このタイプの人は「片付けた方がいいのはわかってるけど、できない」自分
をほんの少し責めてるかも知れません。
こういった人の多くは「片付ける時間や心の余裕がない」と思っているでしょう。
そしてもしかしたら「余裕がない」のは他人に気を遣い過ぎて疲れ果て、
唯一気を使わずに我儘にできる自分の部屋は「我儘に振る舞える最後の砦」
の象徴なのかも知れません。
そして我儘放題、散らかし放題にして心のバランスを取る。
けれど、元々「自分が他人にどう見られてるか?」が気になるので、
部屋を汚してる自分を客観的に見て後ろめたい気持ちにもなってしまう。
③片付けられない自分を余り責めない人
→このタイプの人は物に対する執着が強く、物で溢れ返っていた方が落ち着く
のかも知れません。
もしかしたら、誰かに対する「淋しさ」や求めても得られなかったという
人に対する”愛着”を物で埋め合わせしようとしてるのかも知れません。
※「心の穴」を物や人に”依存”する事によって埋め合わせようとする事に
似ているかも知れません。
④片付けられない自分を全く責めない人
→このタイプの人は、その様な(片付けない)家庭で育ち、
それがいけない事という認識を持てなかったか、
逆に片付ける事等厳しい親のルールや支配に反抗する為の手段が
「散らかす事」だったのかも知れない。
そして、その”癖”が大人になっても続いてしまってるのかも知れません。
以上僕の勝手な推測ですので、これ以外の理由もあると思います。
ただもし、4つのタイプのどれかに当てはまり、「片付け」でお困りの方
がいらっしゃれば、タイプ別にご相談に乗る事ができます。
#性格の改善のカウンセリングについては、
こちらにお書きしてますので、ご参照ください
「苦労から学ぶ」か、「楽しんで学ぶ」か
「苦労は買ってでもしろ!」と古人は言いました。
或いは、自分の苦労話を誰かに承認して欲しくて延々とそればかりを繰り返して
しまう人。(うちの母です(笑))
また「おしん」の様な苦労話に共感する人も多いですよね。
僕自身も、若い頃はず~っと「苦労」大好き人間でした(笑)。
「前世は、きっと苦行僧だったんだろうなあ」と思っていた程です。
かと言って、勿論苦労を否定する訳ではありません。
子供時代に苦労を余儀なくされる環境で育たれた方、
大人になってからも、苦労する環境に置かれてしまった方もいらっしゃるでしょう。
ただあなたにもし”選択の余地”があるのならば、
今の僕は「苦労から学ぶ」事よりも「楽しみながら学ぶ・成長する」事を
お勧めします。
今の僕は「苦労は買ってでもしろ」と仰った方の意見には賛成しかねます。
その言葉には「俺だけ苦労したら損だ!だからお前たちが苦労しないで幸せ
になるのは許せない」と言う”嫉妬”みたいなものを感じるのは僕だけでしょうか?
或いは、日本で長く続いて来た「家父長制」、「封建制」、「軍国主義」
といった支配する側とされる側の権力構造・・・。
支配される側は、当然苦労を余儀なくされる訳です。
そうした中では支配者側は「苦労は美徳だ」と教え込んで来たとしても
不思議ではありません。
そして支配される側も、苦労の中でも意味を見出して学び成長する事を
目指さざるを得なかったのかも知れません。
「楽をしてはいけないんじゃないか?」とか
「遊んだり楽しんだらダメなんじじゃないか?」と思っておられる方。
今は民主主義の時代ですよね。
古い信念を変えてゆく事も必要かも知れません。
では、どうすればいいのか?ですが、
「楽しい事やうまく行ってる事から学ぼう」と決心する事
がまず第一歩だと思います。
通常、人間は「楽しい時」や「うまく行ってる時」には
余り「自分を省みる」という事はしません。
だから「苦境に陥った時」、「うまく行ってない時」になって慌てて自分を省みて
「気づこう」、「学ぼう」、「乗り越えよう」と成長してゆく訳です。
そうなると「苦労から学ぶ」というパターンから中々抜け出せないでしょう。
でも、「順調な時」や「楽しい時」に「何故順調に行ってるのかな?
何が役に立ってるのだろう?」とか「何をやってる時に楽しさを感じるのだろう?」
等と考える習慣ができれば「楽しんで学ぶ」という事に一歩踏み出す事ができる
と思います。
例えば、僕が昔営業の管理職だった頃のお話・・・。
成績の悪い営業マンには、「その交渉が何故ダメだったのか?」とか
「何故売り上げが伸びないのか?」を問い詰める事は余りしませんでした。
逆に、たまに成績が良かった時や交渉がうまく行った時には
「何故、今月は成績が良かったのか?」とか「何故その交渉がうまく行ったのか?」
を徹底的に分析してもらいました。
「苦労から学ぶのはうんざりだ!」と思われる方は、是非これをヒントにして
「楽しんで学ぶ」「順調な時から学ぶ」事に踏み出して頂ければ嬉しいです。
藁にもすがる思い
うちにお越しになるお客様の中には、
「色んなカウンセリングを受けたり、精神科や心療内科に行ってもラチがあかずに
万策尽きて、藁にもすがる思いで来ました」という方もいらっしゃいます。
確かに、僕達は悩みや症状の荒波にもまれ苦しんでいる人が藁をも掴む、
というその”藁”なのかも知れません。
もしそうなら、掴まれて一緒に沈んでしまっては意味がありませんし、かと言って
自分が沈むのを避けようと”溺れている人”を振りほどく事もできません。
ならば藁をもっと沢山集めて、掴まれてもしがみつかれても沈まない様な
”藁の船”を編み込んでゆく必要があると思います。
ー 経験、知識、気力・体力、誠実さ、向上心等、臨床家としての ”体力”
を付けてゆく事が肝心だと思います。
そして荒波にのまれて溺れかけた人が、体力が回復し再び泳ぎだす迄の
藁の船でありたいと思います。
或いは泳ぎ方を知らない人には、泳ぎ方を教えて泳ぎ出してゆく迄の
しばしの教育の場でありたいと思います。
そして時が来れば、「もう大丈夫ですよ。泳いで帰って下さい」
と穏やかな別れを見送る藁の船でありたいと思います。
エンパシー~共感は世界を救う・・・かも。
先日、ルーツオブエンパシーの創設者である、カナダのメアリー・ゴードン女史
の講演会に行って来ました。
メアリーは「共感力の無さが”攻撃性”を生む。そしてそれは、家族何世代に
渡って連鎖してしまう虐待や暴力、或いは国家・民族間の紛争の原因となる」
と仰っていました。
そして彼女は、共感力を幼い頃から身に付ける為の教育を政府の理解と援助で
世界各地の沢山の小学校等に導入し、大きな効果を上げています。
その内容は、小学生等の学校の授業にその地域の母親が赤ちゃんを連れて来ます。
生徒たちは赤ちゃんの様々な表情や動作、泣き声等から
「今、赤ちゃんは何を感じてるのか?」という事を皆で読み取って行きます。
また、人形の赤ちゃんと実際の赤ちゃんの違いを一人一人挙げて行ったりも
してました。
そうする事によって相手(この場合は赤ちゃん)の気持ちを感じる能力(共感力)
を育てていくそうです。
そうして共感力を養っていった子供達は、この先大人になっても攻撃性が少なくなり
虐待や暴力等をする事はないそうです。
多くの国の政府がこの教育を導入しつつあるそうですが、紛争地域の国家間
(例えば、イスラエルとパレスチナ)では、一方の国がこの教育に乗り気でも
他方の国が取り入れなければ、紛争の解決は難しいそうです。
(両者揃っての導入はまだ無いという事が、少し悲しいです)
この「共感力」を養う教育は、子供の頃から行った方が良いそうですが、
僕は我々大人でも、身に付ける事ができると思います。
例えば話を聞き、相手の表情や動作、呼吸等を観察しながら
「この人は、今どんな気持ちなんだろう?」「私に何を伝えたいんだろう?」等と
「相手の気持ちを理解しようとする事」を常に心掛けていると、
少しずつ共感力は養われてくると思います。
ただ、注意しないと行けないのは、共感とはあくまで
「相手の気持ちを感じて、それを共有する事」です。
ですから「相手はこんな酷い目に遭って可哀想」と考え、悲しくなるのは
相手の感情ではなく自分の思考→感情ですので、それは共感ではなく同情で
全く別のものです。
死の恐怖と悔いのない人生~桑名正博さんを偲んで
先日ミュージシャンの桑名正博さんが亡くなられました。
桑名さんと言えばカラオケの締めの「月のあかり」という名曲や「セクシャル
バイオレットNO.1」等で有名でしたが、実業家であり音楽教育や震災の
チャリティー活動等様々な事をされて来られました(お若い時はやんちゃも
されてましたが(笑))
倒れられる前日に「もう、やり残した事ないわ」とふと洩らされたそうです。
余りにも早い死(享年59歳)でしたがきっと悔いの無い人生を生きられた
んだと思います。
そして誰でもいつかは死ぬ事は知っていながら、それを見ない様にし、口では
「悔いのない人生を行きたい」と思ってる人も多いでしょう。
そういう私自身も、かつてはそうでした。
恐怖や不安は、見ないようにしているといつまで経っても消えないですし、
しかも恐怖や不安をしっかり見据えたら得られるはずの対抗手段や予防策を
講じる事ができず、恐怖や不安が的中した時に、ただただ翻弄されてただけで
何の対抗策もそれを行う力も持ってない、成長してない自分に気が付いて
愕然とします。ーーこれが後悔の原因です。
そして人間の全ての恐怖の根底には「死の恐怖」があります。
⇒例えば「愛する人を失う恐怖」「職を失う恐怖」「失敗するかも知れない
不安」・・・。
それらがもし完全に実現してしまったらどうなりますか?
⇒大抵の人はそれらの恐怖や不安を突き詰めていけば「そうなったら生きて
行けない!」=死んじゃう!という所に辿り着くと思います。
そうです。全ての恐怖や不安の根底には「死の恐怖」があるんです。
だからそれを払拭し、備える為にはまず自分の「死の恐怖」と対峙しないと
ダメです。
しっかり見つめないと一生恐怖に振り回され何も手を打たないまま、その時
を迎えます。
そうして後悔だけが残るのです。
ですから、自分の死をしっかり見据えその恐怖の本丸に入って行き「恐い!
わあ、このまま死んだらこんな悔いが残ってしまう!死んでも死にきれんわ
!」というものを持って帰って来て、
⇒じゃあ、その後悔をしないように今日からどう生きるか?
を考え実行して行く・・・。
そうすればもしかしたら桑名さんのように「悔いのない人生」に少しでも近
づけるかも知れません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
金メダル内村航平選手のメンタルの秘密~原因分析を放棄する
ロンドンオリンピックで体操個人総合の金メダルを取った内村選手。
でもその前の団体戦で鉄棒やあん馬で落下して”不調”と見られていました。
記者の「不調の原因は何ですか?」という質問に対して「わからないですね」
と答えていましたが「”わからない”と言って原因分析を放棄した事」が
個人総合の金メダルへの大きなポイントになったと私は思います。
時間が何日もあって修正が効くのであれば原因分析は有効なのかも知れません。
でも日にちが無い時に原因分析する事の無意味さ、もっと言えば”弊害”を
無意識的に彼はわかっていたのかもしれません。
この”原因分析の弊害”というのは、失敗の原因に目を向けて原因を探し続
けるという事ですから意識を常に「失敗にフォーカスし続ける」事になります。
そうすると”引き寄せの法則”じゃないですが、無意識に失敗がインプット
されて、益々失敗し易い状況に陥ります。
例えば営業マン等は毎日上司から「原因分析して悪い所を修正して、明日の
指針を考えろ!」等と毎日日報を書かされるはずです。
でも、それでうまく言ってる人はいいですが「どこが悪いんだろう?」と原因を
探って行くと落ち込んで来ますからそんなしんどい作業が続けられず、適当に
ごまかす様になって来ます。(勿論成績が上がるわけありません)逆に真面目
にやればやるほど抑うつ状態に陥る人もいるでしょう。
そしてこれは所謂”メンタルの病気”にも当てはまります。
原因分析しても、本当の原因なんて殆どわかりません。
じゃあ、色んな所で原因分析してきて治らないのであれば「そんな弊害のある
事は止めましょう!という事なんです。
(症例によっては原因分析に基づいた治療で良くなる事もありますし、私も
する時もありますので100%否定してるわけではありませんが・・・)
では、原因分析の代わりに何をすれば良いのか?ですが、多分内村選手は、
オリンピック選手なら誰でもやってるイメージトレーニングを行ったはずです。
自分が成功してる姿、金メダル取った時の周りの様子や自分の感情を繰り返し
イメージしていたはずです。
ならば同様に原因分析で行き詰ってる営業マン、ビジネスマンなら、それを
止めて、代わりに上手く行く為の方法や上手く行った後のイメージをすれば
いいんです。
そして原因分析的な治療で行き詰まってる”メンタルの病気”だと診断された
人も少しでも辛さを無くすヒント(”調子が良い日”にヒントが隠れています)
や良くなった後のイメージの方に常にフォーカスする事の方がいいんです。
プロフィール

- 心理カウンセラー・自己実現コーチ
- ・公認心理師
・全国WEBカウンセリング協会認定
心理療法カウンセラー
不登校児対応アドバイザー
・矢野惣一「心の専門家養成講座」卒業
NLP、催眠療法、ゲシュタルト療法、解決志向ブリーフセラピー、フォーカシング、認知行動療法ナラティブセラピー、インナーチャイルド癒し、トラウマ療法、家族療法(システムズアプローチ)等とその統合を習得する(TVの解決ナイナイアンサーでお馴染みの「性格リフォームの匠(達人)」心屋仁乃助さん、「アネゴ系セラピスト」大鶴和江さんは矢野講座の先輩です)
・Gakken「学研の家庭教師」不登校事業室の外部相談カウンセラー
・WEBカウンセリングルーム「みらい」カウンセラー
・日本フォーカシング協会会員
・国際ブリーフセラピー協会(旧:日本ブリーフセラピー協会)会員
2012年2月開業。2025年時点で4,000名超のお客様のご相談をさせて頂きました。
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