愛する人を喪った方へ~愛する人に別れを告げる必要はない
愛する人を喪った方へ~愛する人に別れを告げる必要はない
目次
愛する人を喪って「早く吹っ切って前に進まないと・・・。」
と頑張ろうとしても中々吹っ切れずに苦しんでる方。
或いはその人を「忘れよう」、「あの人はもういないんだから・・・。」と
自らを納得させようとしてもできない方。
遺された家族や周囲の人が皆、気を使って敢えて故人の話や名前さえ出さなくなって
余計に悲しさに襲われてしまってる方。
喪った人を「忘れよう」とか、「口に出すまい」と苦しむ必要はありませんよ。
「サヨナラ」を告げる必要はありませんよ。
例えばあなたが逆の立場で、あなたの死後に遺された家族や友人・知人達が
あなたを忘れて、あなたが初めから存在しなかったかの様に振る舞い
彼らの会話の中にあなたの名前すら出て来なくなったのを(天国から?)見れば
どう思うでしょう?
もし僕だったら「何だか淋しいなあ。僕は此処にいるよ!仲間に入れてよ。
忘れないでよ!」って思うかも知れません。
(※勿論、遺族が「失ったもの」だけに目を向けて苦しんでいる姿は見たくありませんが)
「愛とは別れを告げなくてよい事である」
=これはアメリカ最大のホスピス組織「VITAS」のマネージャーで
ナラティブセラピストのロレイン・ヘツキ女史の言葉です。
肉体が存在を終えても、人生において大切だった事は生き続ける。
彼女達ナラティブセラピストは「失ったものに注意を向ける」のではなく、
いかに「失われなかったもの」(例えば人間関係)に注意を向け、
それを生きながらえさせる方法を発見するか?が大切だと主張しています。
では、どうすれば故人を遺された人達の”物語”の中に「生きていてもらう」事
ができるのか?のヒントを以下に書いてみたいと思います。
例えば、あなたが故人の生き方や考え方、故人との思い出の中で
最も印象に残るものは何でしょう?
そして、それはあなたの人生にどういう影響を与えましたか?
更にそれは、過去・現在のあなたが関わってきた他の人達との人間関係に
どういう影響を与えてきたでしょう?
加えて、それはあなた自身の未来や今後あなたが出会うであろう人達
=未来の人間関係にどういう影響を与えて行くと思いますか?
また、あなたの新しい家族(生まれ来る子や孫達、結婚する相手等)や
故人の事を知らない大切な人達に故人の事をどの様に紹介しますか?
ーこの様な事を考えてみるのも役に立つかも知れません。
或いは故人の命日や法事等の席で、集まった人達がこの様な事をお互いに語り合う
のも役に立つのでは、と思います。
また或いは遺影や遺品をいつも身に付けておいて、今後もしあなたが行き詰まったり
何らかのアドバイスが欲しい時に「この人(故人)だったら、何て言ってくれる
だろう?」と、アドバイザー役として「生き続けて」頂くのもいいかも知れません。
そして、この様に「故人の不在を苦しむのではなく、
故人とどのようにしたら親密でいられるか?」と考えて実践していく事が
あなたの人生も、故人の人生も豊かにしてゆく事に繋がってゆくと思います。
ペットに依存したりペットロスから立ち直れない人へ
「愛する犬が亡くなってから3年以上経つのに立ち直れない」
「可愛い飼い猫が年老いて来て、
猫を喪ってしまう事を考えると不安で仕方がない」
愛するワンちゃんや猫ちゃんを喪う事や喪う不安は
ペット達を愛する気持ちが強ければ強い程苦しいものになると思います。
ペットロスの苦しみに見舞われてる方には愛する人を喪った方と同様に「喪の作業」
(悲しみを感じ切る
→心残りを吐き出して頂く
→ペットを忘れるのではなく、
自分の人生の中でどう生かし続けるか?を考えて頂く)等を行って頂きます。
特に「自分の苦しみをペットだけが理解してくれていた」と感じる方や
「ペットだけが自分の心の支えだった」「ペットが自分を癒してくれた。
救ってくれた」と感じる方は、彼・彼女を喪ったら、うつの様な「悲嘆反応」が
出ても当然だと思います。
ただ、ペットに余りにも依存しているとか甘えきってる、頼り切ってると感じる方は
その執着の深さ故に、中々立ち直る事が難しいかも知れません。
もしあなたが「私もペットを喪ったら、そうなっちゃうかも・・・」とか
「確かにペットに依存し過ぎてるかも・・・」と思われるのなら、
まず自分の「本当の気持ち」を見つめてみるのがいいかも知れません。
本当の気持ち
ー それは例えば「私、本当は淋しいんだ」とか「私、本当は甘えたいんだ」等。
でも、もしかするとあなたは
「(本当は淋しいけど)淋しくなんてないもん!」とか
「(本当は甘えたいけど)甘えちゃいけない!」と本当の気持ちに蓋をして
強がってきたのかも知れない。
もしそうなら「私は淋しいんだ。淋しがり屋なんだ」とか
「私は甘えたいんだ。甘えん坊なんだ」とまず自分に呟いてみて、
本当の気持ちを認めてあげませんか?
そして、その淋しい気持ちを本当は誰にわかって欲しかったですか?
その甘えたい気持ちを本当は誰にぶつけたかったですか?
その「本当にぶつけたかった相手」に思い切って言ってみませんか?
もし”その人”がもう会えない人であれば、その人を思い浮かべて
その言葉を口に出してみてもいいでしょう。
その人はわかってくれそうですか?
わかってくれそうもなければ、諦めて今の人間関係の中で、
誰ならわかってくれそうですか?(彼?旦那?親・兄弟?親友?・・・)
でも、もしあなたの周りに今はそんな人がいないのであれば、作っていきませんか?
ー「自分の本当の気持ち」を言える人を。
勿論拒絶する人もいるでしょうし、とても勇気が必要でしょう。
でも少しずつ「淋しいサイン」を出してみたり、ほんの少し甘えてみたり・・・。
それを受け止めてくれる人をあなたの周りに増やしていきませんか?
そうすれば、それはペットへの過剰な依存やペットロスの悲しみを
和らげるのに役に立つと思います。
※もし難しい様でしたら、お気軽にご連絡を下さい。
#死別・生別の喪失感のカウンセリングについては
こちらにお書きしてますので、ご参照ください
母の認知症
1年前に父が亡くなり、独り残された母の痴呆は徐々に進行している感じがする。
「娘時代、自分は兄嫁に女中代わりにこき使われたのに、
妹は自由にさせてもらっていた・・・。」
「夫は好き放題していた為に、自分は苦労させられた・・・・。」
ーそんな、10パターン位の愚痴がエンドレステープの様に延々と続く。
そして風呂や着替えや食事でさえ、放っておけば中々できない。
普段はデーサービスや弁当の宅配を頼み、
毎日「着替えた?お風呂入った?食べた?」等過干渉気味に電話をかけ、
僕と妻は週1回位、洗濯や身の回りの世話に通っている。
週1回でもしんどいのに、認知症の親を毎日世話をされている人の事を考えると
頭が下がる。
嫁に取り込まれ自分から親と縁を切った兄は論外だが沖縄に行った妹まで、
愚痴ばかり繰り返す母とは距離を置いて、こちらに任せ切りだ。
僕も、同じ愚痴ばかり繰り返すところや、何度言ってもやらないところには
時々「イラッ」と来る。
でも、それは母の性格が悪いとかネガティブだとかではなく、
痴呆という病気がそうさせているだけだ。
そんな時はよく、母の愚痴を聞きながら、
気持ちをわかってあげたいと思って話を聴く。
ー母は自分だけ損した苦労させられたと感じて、きっと辛かったんだろうなあ。
本当はもっと自由にしたかったんだろうなあ。そして、
そんな苦労した自分を労い、認めて欲しかったんだろうなあ・・・。
そうやって、共感して言葉を返して言っても、
母はすぐに元のパターンに戻ってしまう・・・
て、て、手強い(笑)。
そんな時よく思い返すのが、自分が産まれてから今迄に
「母からしてもらった事」
「母にして返した事」
「母に迷惑かけた事」
・・・所謂「内観」だ。
ー 幼い頃、ぜんそくで夜中「ぜいぜい」してる僕の背中を
ず~っと擦り続けてくれた母。
小学生の頃、万引きと間違えられ駆け付けた母が店主に「うちの子は
絶対そんな事する様な子ではありません!」と喰ってかかっていた母
・・・・。
そんな事を次々に思い返して行くと、譬え痴呆に侵されようが、
母から受けた愛情をどうしても返したくなる。
ただ世の中には親の介護で、もっと悲惨な地獄の様な状況に苦しんでおられる方
もいらっしゃる事と思う。
そういった方は先の「内観」に加えて、
「誰にどの部分を助けてもらうか?」を考えてみらるのも良いかもしれない。
初盆~執着から愛へ
(※この記事は2015年8月に書いたものです)
誰でも近しい人を喪った時には暫くは喪失感に苛まれると思います。
僕自身も4月に父を突然亡くし、もうすぐ初盆を迎えます。
そこで「父への想い」を整理してみる事にしました。
ー「もっと二人で酒を酌み交わし、男同士色んな事を語り合いたかった」
「もっと親孝行しておけば良かった」
「痴呆の母を残して先に行くなんて、僕に重圧が掛かるよ」
・・・これらは皆、手放すしかない「執着」と言えるでしょう。
(その証拠に、これらを考えている時は自分が苦しくなります)
逆に、
「母に最後まで寄り添ってくれたね」
「道を逸れそうになった時に、説教してくれたね」
「旅行に連れてったり、昔話を聞いてあげた時は嬉しそうだったなあ」
「自分の想い通りの人生を歩みきったよね」
「でも、母を独り残すのはどれだけ気がかりだっただろう?」
「自分史を書き上げる事ができなくて、
孫の花嫁姿を見られなくて、少し悔いてるんじゃないかな」
・・・これらは皆、「愛」だと感じます。
(その証拠に、これらを考えている時は胸が「ジーン」と来ます)
つまり(僕の私見ですが)
「自分が失ったもの」
「相手が与えてくれなかったもの」
「自分が与えられなかったもの」
に思いを馳せる時にはそれは執着になってしまうと思いますが、
「相手が失ったもの」
「相手が与えてくれたもの」
「自分が与えたもの」
「相手が得たもの」
「相手が得られなかったもの」
に思いを馳せる時には、それは「愛」になると感じます。
もしそうだとすれば、喪った相手への執着に苛まれている方は、
「相手が失ったものは何だろう?どんな気持ちだろう?」
「相手が与えてくれたものは何だろう?
それを想って、今自分はどんな気持ちになってるかな?」
「自分が与えたものは何だろう?あの人はどんな気持ちになってるだろうか?」
「あの人が人生で得たものは?得られなかったものは?
それで、あの人は今どんな気持ちだろうか?」
等と自問してみませんか?
要するに、
「自分の心残り」=執着の涙
を
「相手の心残り」=愛の涙へ
と変え、
「自分が得たもの」と「相手が得たもの」
も思い描くと、
「有難う」という感謝や
「良かったね」という喜びや安堵の笑顔に結びつくのではないか?
と思います。
さあ、早速実践して行きます。
#死別・生別の喪失感のカウンセリングについては
こちらにお書きしてますので、ご参照ください
プロフィール

- 心理カウンセラー・自己実現コーチ
- ・公認心理師
・全国WEBカウンセリング協会認定
心理療法カウンセラー
不登校児対応アドバイザー
・矢野惣一「心の専門家養成講座」卒業
NLP、催眠療法、ゲシュタルト療法、解決志向ブリーフセラピー、フォーカシング、認知行動療法ナラティブセラピー、インナーチャイルド癒し、トラウマ療法、家族療法(システムズアプローチ)等とその統合を習得する(TVの解決ナイナイアンサーでお馴染みの「性格リフォームの匠(達人)」心屋仁乃助さん、「アネゴ系セラピスト」大鶴和江さんは矢野講座の先輩です)
・Gakken「学研の家庭教師」不登校事業室の外部相談カウンセラー
・WEBカウンセリングルーム「みらい」カウンセラー
・日本フォーカシング協会会員
・国際ブリーフセラピー協会(旧:日本ブリーフセラピー協会)会員
2012年2月開業。2025年時点で4,000名超のお客様のご相談をさせて頂きました。
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