完璧主義の素晴らしさ
完璧主義の素晴らしさ
うちのルームにも
所謂、”完璧主義”が高じて生き辛くなって悩んでお越しになる方
もいらっしゃいます。
そういう方にとっては、
「完璧主義のせいで苦しいのだから、完璧主義をやめたい」
と思われるのも当然だと思います。
ただ、
人間にとって”理想的な”完璧主義は
とても素晴らしいものだと私は思っおります。
例えば、
野球のイチロー選手や大谷選手等の様に、
「完璧なバッティング」や「完璧な投球」を求めて
日々努力を積み重ねている姿には感動を覚えますし、
本人達も「完璧主義をやめたい」とは思っていなさそうです。
他の専門職の人でも、
自分のこだわりの分野に関しては完璧を目指し
常に努力・向上しようとされてる人は
”プロフェッショナル”として尊敬・賞賛されたり、
本人もそれを誇りに思っている事でしょう。
勿論、
そういった”プロ”でなくても、
好きなゲームを完璧に攻略しようと、攻略本を必死に読みあさる子供
や
完璧なスタイルを目指し、完璧にメイクして街を闊歩している人
もいるでしょう。
過去、日本の技術者たちも”完璧なモノづくり”を目指したからこそ、
日本の技術は世界に認められる様になったのだと思います。
こういった面にスポットを当てると、
完璧主義は個人の成長や社会の発展に寄与する素晴らしいもので
思わず「完璧主義、万歳!」と言いたいところです。
なのに、
一方ではその”完璧主義”ゆえに苦しんでおられる人もいらっしゃいます。
それは何故か?
次回はその”違い”について私見をお書きしたいと思います。
<次回へ続く>