他人と比べずに自分を決めつけてしまう人
他人と比べずに自分を決めつけてしまう人
前回、
「他人と比べてしまって苦しんでいる人」の多くは
実は
「ちゃんと他人と比べていないから苦しんでいる」
といった私見をお書きしました。
だとすれば、
そういった人は何故、正確に他人と比べる事をせず、
自分の根底にある劣等感や自己否定にまつわる信念だけに
意識が向き続けているのでしょうか?
今回はその原因を推察してみたいと思います。
①何故自分の根底に
劣等感や自己否定が植え付けられたのか?
恐らく、幼少期の家庭環境や生育環境の中で、
親等から否定され続けたり、
或いは、
HSPやASDといった、持って生まれた敏感さ故に
対人交流の中で深く傷ついてしまった、等の出来事によって、
「自分はダメ人間だ」とか「自分には価値が無い」
等の偏った信念とセルフイメージができあがった。
(発達性トラウマ障害やアダルトチルドレン)
②何故その”信念”に拘り続けるのか?
1つは、幼い頃は親や養育者を諦める事ができないので、
例えば親から虐待されても「親がダメなんだ」とは思わず
「自分がダメだからだ」と考える傾向があります。
だって、
親がダメだとしたらその状況が変わる訳もなく、
「いつか愛してくれるようになるかも?」
といった希望も持てませんが、
自分がダメであるならば、
「私がダメじゃなくなれば親が愛してくれるかも?」
という希望を持てるからです。
そして、
対人関係の始まり・基本は親との関係ですから、
その後の全ての対人関係にその信念やルールを
無意識に持ち込んでしまうでしょう。
もう一つの理由として考えられるのは
人は「落差」がある程、ストレスも大きくなると考えられます。
(例えば大好きな人だったのに失ってしまった)
ですから、(特に傷つき易い敏感な人は)
「私はこの人に好かれているかも」
とか
「私は結構イケてるかも?」
等と、
相手や自分への期待や希望が大きければ大きい程、
それが叶わなかった時の「落差」でとてつもなく傷つく
でしょう。
だから、
「落差を最小限にする」為に
「どうせ私は嫌われる」
「どうせ私は何やってもダメ」
等といった盲目的な信念に拘り続けて、
自分にばかり意識が向いてしまい、
他人に目を向ける時は
”自分の信念を裏付ける証拠探し”になるので、
ちっとも「正確な他者評価/自己評価」を行っていない、
つまり、
「ちゃんと自分を他人と比べていない」という事に陥るでしょう。
※それとは逆に、
「自分は凄い」「自分は誰よりも優れている」
と根拠の無い優越感/傲慢さを
信念として持ってしまっている人も、
それを裏付ける証拠探しをしているだけで、
ちっとも公正に自分と他人とをべる事をしていない、
と言えるでしょう
<次回へ続く>