何故少年少女は大志を抱けなくなったのか?(1)

何故少年少女は大志を抱けなくなったのか?(1)

<前回からの続き>

前回お書きした様に、
「少年よ大志を抱け!」
と言われたところで、様々な事情で
「志や野心や夢を持てない人」

「自分が何をしたいのか?どうなりたいのか?さえ
 わからなくなった人」
もいらっやると思います。

それでは、
何故、そうなってしまったのでしょうか?

今回はその原因を推察してみたいと思います。

 

<自分の欲求(志・夢・望み、等)が
 わからなくなった原因>

人間をはじめ 、ほぼ全ての生物は
「快を求め(欲求)不快を避ける」という
傾向を持っています。

それは生き延びる為、遺伝子のコピーを残し続ける為、
といった個体や種の生存本能に基づいているからです。

ところでこれらの欲求は、
神経生理学的には
どこから始まるのでしょうか?

近年の研究では、
それは「内臓感覚」等の「内受容感覚」が基になっているらしい、
という事がわかってきています。

脳→内臓の運動神経系の回路は古くから知られており、
気持ちや考え等によって、内臓の状態が変化する、
という事もありますが、
逆に、
内臓が感覚受容器の働きをしていて、
内臓→脳といった感覚神経系の回路の方が圧倒的に多いという事が
わかってきています。

つまり、
内臓の状態が脳に伝わり、それによって、感情や思考、行動
が産み出される、という事が起きているという事です。

例えば、

「歩道を歩いていた時に、ふと嫌な予感を感じて、
 とっさに身体を避けたら、自転車が突っ込んんで来て
 恐怖を感じ、”危なかった”と思った」

これは、
内臓感覚(嫌な予感)→行動→感情→思考という順番です。

また例えば、

「商店街を歩いていた時に、お店の方から強い匂いが
 漂って来て、お腹がグルグルっと鳴った。
 ”あ、いい匂い。お腹が空いてるなあ、食べたい!”と思って、
 店の方に歩いてゆくと
うなぎ屋さんの看板が目に入り、
 迷わずお店に入った」

これは、
(外部からの刺激=嗅覚)→内臓感覚→思考・感情→行動という流れです。

 

この様に、
内臓感覚(広い意味では内受容感覚)が全ての快/不快といった

欲求の根底にあると考えられます。

ところが何らかの理由で
この内臓感覚がうまく機能しなくなった人の場合は、

「自分にとって何が快か?不快か?」がわからなくなる訳ですから、
当然、自分の望みや志、夢などを描く事は不可能になるでしょう。

 

それでは、
その様な「内臓感覚の機能不全」は何故起きるのでしょうか?

次回は、それについての考察を行ってみたいと思います。

<次回へ続く>

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