コラム/2013-10-22
自分と他人と神仏(ご縁、場)に感謝する
自分にとって良い事が起こった時は「お陰様で・・・。」と
自分の事を置いといて(忘れて)他人や神仏に感謝する。
でも、自分にとって悪い事が起きた時に「自分のせいだ」と
他人や神仏が頭から吹き飛んでしまい自分を責めてしまう。
また、ある人は良い事が起こった時には「私が頑張ったからだ」
と他人や神仏が頭から吹き飛んでしまい、”いい気”になる。
そして悪い事が起きたら自分の事は棚に上げ(忘れて)「あいつのせいだ!」と
他人や社会、神仏のせいにする・・・。
別にどう考えようが、その人の”考え方・生き方”にケチをつけるつもりは
ありません。
でも、その”考え方・生き方”で苦しいのなら僕の考え方が参考になるかも
知れません。
自分に起きる出来事は全て、他人や社会との相互作用や相互関係の中で生じます。
仏教的に言うと、それぞれが何らかの「因」を持った自分と他人が
「縁」によって出会い関係づけられ、そこでの相互作用によって様々な出来事が生じる
とも言えるでしょう。
もしそうなら、良い事が起きた時に「他人や神仏にのみ感謝して自分への感謝を
忘れる」とか、悪い事が起きた時に「全て自分のせいだと責めて、他人や神仏を
責めない」というのも非常に不公平なやり方だと思います。
では、そういった”不公平な考え方”のせいで今苦しい人はどうすればいいのか?
→ 僕の考え方としては「自分、他人、神仏」の3つを常に忘れず意識する事
(特に感謝する事)が必要だと思うのです。
例をあげてみましょう。
ー 職場で酷い上司の下でうつっぽくなり心身共限界になり退職。
転職した会社は優しい人ばかりで、職場の人達に感謝してます。
→この場合は、他人への感謝はありますが、自分や神仏(=ご縁や場)への感謝
(=意識)が抜け落ちています。
このままでは、自分の「幸・不幸」は、他人任せの”たまたま”に
なってしまうかも知れません。
そうなると”たまたま”酷い人達ばかりの会社で働く事になってしまえば、
「ああ、私は何て不幸なんだろう」と嘆いて無力感を感じてしまうでしょう。
そう考えるのではなく、恵まれた会社に転職できたのは「私が転職しようと決意
したからだ!」と自分の決心に感謝し、そのご縁にも感謝できれば、もっと
「自分で選択する能力」や「ご縁の力」を信じる事ができるかも知れません。
そうなると、譬え酷い環境(ご縁)にいたとしても「自分が悪いからだ」と
自分を責めたり、「他人のせいだからどうしようもない」と諦めたり、
「神仏を恨んだり」はしなくて済むはずです。
それどころか、「今のままじゃしんどいからご縁を変えよう!自分の決意次第で
良いご縁を結ぶ事ができる!」と信じる事ができるでしょう。
そして、うまく行けば、「良く決意して行動したよね!」と自分に感謝でき、
新しいご縁を作って下さった”力”に感謝し、新しくご縁ができた人にも感謝
できるようになるでしょう。
特に、幼い頃の家庭環境の中で「自分には価値が無い」と思い込まされて来た人達。
「そんな中で良く頑張って来たね。有難う!」と「今も辛いけど、よく頑張って
くれて有難う!」と、自分への感謝を沢山行ってみませんか?
感謝が足りないと力が足りなくなって弱くなります。
本当は他人を憎んでもいい場面なのに自分ばかり責めてしまうのは、
ダムが決壊する時に似ています。
ダムに貯まった水は、一番弱い所を責めて決壊させます。
だから、他人を責められずにいつも自分を責めてしまう人はどうか、
自分への感謝を忘れないで下さい。
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