コラム/2021-01-04
ありのままの自分でいる事と認める事①
「ありのままの自分でいなさい」
「ありのままの自分を大切にしたい」
「あるがままの自分を認めたい」
・・・。
一時期(今も?)こういった言葉をよく耳にされたと思いますが、
「ありのままの自分をどうしても認められない私はダメだ」
等と自分を否定してしまったり、
「ありのままの自分を出す事に拘り過ぎて、
周りのみんなが離れて行って寂しい・・・」
等と悩んでしまってる人もいらっしゃると思います。
そもそも「ありのままの自分で居る」とか「ありのままの自分を認める」
という言葉に反応する人は、
「今のままの自分では生き辛い」とお感じになったからではないでしょうか?
なのにこの言葉を信じてより生き辛くなったり、周囲に迷惑を掛けてしまい、
人間関係がうまく行かなくなったとすれば本末転倒だと感じます。
それでは、何故そういった事態に陥ってしまうのでしょうか?
それは、その言葉を伝える人も受けとめる人も
「ありのままの自分」の定義が曖昧だからだと思います。
どういう事かと申しますと、
HSPの提唱者のエレイン・アーロン博士(米国のユング派の心理学者)は、
個人の性格には「気質」と「個性」と「目に見える行動や習慣、趣向」
という部分があると定義されています。
「気質」というのは、その人の持ってうまれた先天的な特徴や傾向です。
(例:HSP=敏感である、ASD=他人への関心が薄い、等)
一方「個性」は、気質と養育環境や社会環境、個人史等の相互作用で
後天的に形成されたものと言えるでしょう。
そしてそれらを基に行動や習慣・趣向が作られて、
それが自分の性格だと自他に認識されてゆく訳です。
だとすれば「気質」は変えられない(とても変えにくい)もので、
「個性」(や行動、習慣)は変えられるもの、と言えると思います。
そしてもし「ありのままの自分」があるとすれば、
(変えられない、或いはとても変えにくい)「気質」の方だと思いますし、
「個性」や「行動・習慣」は変えられるものですので、
「ありのままの自分」とは言い難いものだと思います。
ところがこの定義を曖昧にし、
「変えられる部分」或いは「変えないといけない」部分まで、
「そのままでいい」と認めて、
そこに居続けたら自他を傷つけたり、益々自分の人生が幸せから
遠ざかってしまうという事も起こり得ると思います。
ですから、
まずは自分の「気質」「個性」「行動・習慣・趣向」を分析し、
「自分を知る」事が大切である思います。
その辺りを次回、例を挙げて詳しくお書きしたいと思います。
<次回へ続く>
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