コラム/2020-10-05
自分を犠牲にしてまで相手に尽くす人へ③
<前回からの続き>
前回、
優しく愛情溢れた方が、
「自分を犠牲にしてまで人に尽くし、自分が苦しくてもやめられない」
即ち、共依存と言われる状態から何故抜け出せないのか?
の考えられる理由として、
①持って生まれた共感力の高さ
②(一つの事、一人の人への)集中力が高い
③オキシトシン(愛情ホルモン)の働き
④ドーパミンの働き
の4つがあるのではないか?という私の考えをお書きしました。
今回は、そうであると仮定して、
何故共依存的な状態から抜け出せないのか?
を具体的な例を挙げてご説明したいと思います。
例;(本人が生活に困窮しても、
彼氏の借金を肩代わりし続ける事がやめられない女性)
「彼氏がまたギャンブルで借金して困ってる。
”助けてあげなきゃ!”とまたお金を渡したけど、
私の生活費も底をついてる。今月の家賃を払えるかなあ~。」
→(考察)
「①」の持って生まれた共感力の高さから
「彼が困ってる。電気も水道も止まりそうらしい。
飲食する事もできずに、真っ暗な部屋に独りで居ると
どれだけ孤独で惨めな気持ちになるだろう?
私だったら自暴自棄になっちゃうかも?・・・。
私が彼を助けてあげなくちゃ!」
と、相手(彼)の気持ちを我事の様に感じる、本人の優しさが感じられます。
ただこの女性の場合は、
「②」の(一つの事、一人の人への)集中力が高い為に、
「”私”が何とかしてあげなきゃ!」
「今すぐ”お金”を何とかしてあげにきゃ!」
「でないと”飢え死にしちゃう”かも?・・・」
といった考え方に囚われてしまっています。
冷静に考えれば、
「彼の親族や友人・知人・職場の人に助けを求めたら?」
「仮に電気や水道が止まっても、日銭が稼げたり、
賄いが出るバイトもあるんじゃないの?・・・」
「取りあえず、水と食料を送ろう!」
といった考え方もできると思います。
ところが他の考え方や可能性への視点が欠落していて、
「”私しか”彼を助けられない」
「(彼が言う通り)”お金を渡すしか”ない」
等と言った”私と彼”、”お金を渡して助ける”
という事に集中し続けていると言えると思います。
そして、
「この人は私にとって特別な存在」
「彼にとっても私は特別な存在に違いない」
といった、愛着(執着?)が生じているのは、
「③」のオキシトシン(愛情ホルモン)の働きによるものだと考えられますので、
この女性は、オキシトシンの分泌が豊富な愛情深い人であると考えられます。
さらに、
(お金を渡すと彼が)
「頼れるのはお前だけだよ!助かった。本当に有難う!」
と言ってくれる言葉によって、
他者(彼)からの承認によって
快感物質である「ドーパミン」が放出されるとも考えられます。
そしてそれが続きパターン化してしまうと、その快感を脳が求めてしまい、
同じ事を繰り返してしまってやめられなくなる、即ち「依存」が形成
されるのではないでしょうか?
もしそうだとすれば、どうすればその「依存」から脱却できるのでしょうか?
その「脱却のヒント」を次回お書きしたいと思います。
<次回へ続く>
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