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コラム/2020-05

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2020/5/29 (金)

どうすれば根拠の無い自信を持てるのか?②

~根拠の無い自信を持つと人生が楽になる~
 
<前回からの続き>

前回お書きした様に、


あなたがもし

「根拠の無い自信」(自己肯定感)

「根拠の無い自他への信頼感」(自己信頼や自己有用感)

を感じられないのであれば、

子供時代に「それを感じて認識」できなかったからだと思います。

だとすれば、

その感じ方や認識を覆してゆく必要があるでしょう。




その方法の一つとしては、


①まず、

 今のあなたが愛情を持ち且つ、論理的に考えられる母親になった
 と想像してみましょう。


②そして、

 今のあなたから見て、昔の親の言動の事をどう感じますか?


③次に、

 ビクビクして常に顔色を窺っている
 昔のあなたの事をどう感じますか?


※ここで注意しないといけない事は、

 「この子(昔の自分)がビクビクして
  何も言わないからお母さんがイライラしたんだ」

 みたいに、決して自分を責めない事です。


 もしそうだとしても、

 それは持って生まれた遺伝性の
 「豊かな感受性」から来るものですから

 あなたのせいではない、という事です。


④その子(昔の自分)の理想的な親として

 昔の母親に対する要望を考え、

 (例:「この子は感受性が鋭いので、
     大きな声で怒鳴らないで!」等)

 それを書き出してみましょう。


⑤その子(昔の自分)を肯定してあげる言葉をかけるとすれば、
 どんな言葉掛けをしたいでしょうか?

 どうしてあげたいでしょうか?

→それも書き出してみましょう。


⑥それらを書き出した今、
 昔のあなたをどう感じるでしょうか?

→もし、肯定的に感じられたのであれば、
 その言葉も書き加えましょう

 そして、
 これからは肯定してあげて、(少なくとも否定せずに)
 その子の「安全基地」になってあげませんか?


また、

現在、親御さんに話ができる状態なら、
昔のあなたが感じた事、認識した事を伝えてみるのも良いと思います。


もしかしたら、

感受性が鋭いが故のお互いの勘違いがあったのかも知れないからです。


そしてもし、新たに感じた事・気づいた事があれば、
それも書き出してみましょう。




注意:これはあくまで一つの方法ですので、
   もしそれでもうまく行かない場合はいつでもご連絡下さい。



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2020/5/27 (水)

どうすれば根拠の無い自信を持てるのか?①

~根拠の無い自信を持つと人生が楽になる~




前回お書きした
「サザエさん一家」の例を思い出してみませんか?

カツオ君は、何か努力して
「根拠の無い自信」(自己肯定感)

「根拠の無い自他への信頼感」(自己信頼や自己有用感)
を獲得した様に思えるでしょうか?

そうですね、

彼はそれらを「努力して獲得」した訳ではなく、
「そう感じて認識した」訳です。

ところが、

もし今のあなたに「根拠の無い自信」や「根拠の無い自他への信頼感」
が少ないと感じられるのであれば、

当時(幼少期)のあなたは、そういう風には感じられず、
その様には認識できなかったという事になります。

乳幼児は当然論理的に考える事ができないですので、

親や養育者の事を絶対視し、批判的に考える事など思いもつきません。

特にあなたが、
「豊かな感受性」「並外れた共感力」を持っているとすれば、

親の不安そうな様子やイライラ、否定的な表情や仕草を
一瞬でも見逃さなかったでしょう。

更にあなたが「並外れた(感じ方や考え方への)集中力」を持っていたとすれば、

それからもずっと(大人になってからでさえ)、
他人の否定的な表情や言動に注意を集中し、

「やっぱり私は価値がないんだ」

「どうせ私なんて居なくていいんだ」

等といった”認識”を強めてゆくでしょう。




※話が少々それますが、
 ここで何故否定的な側面にのみ的を絞るのか?
 という疑問が湧くと思います。

 それは、

 ①「快を求める事よりも危険を回避する事」が優先されるから・・・
  (ライオンに襲われそうなのに、のんびり餌を食べてる場合ではない)

 →特に「豊かな感受性」を持ってる人は不安や否定等にも人一倍敏感です


 ②子供時代に「親はいつも否定する人なんだ」と「親側の問題」と捉えると、

  「私が良い子にしていれば、いつかママは私の事を愛してくれるんだ」
  という希望を失う事になりますので、
  「私側の問題」と捉えた方が自分の努力次第では希望が持てるから・・・

  といった理由が考えられます。




そうして子供時代の、

「ありのままの私では愛されない」

「本当の私を出したら、大好きなママに見捨てられる」

といった強烈な感情が、
論理的な思考を可能にする”自我”の成長を抑え込むのではないか?と思います。

だとすれば、自我の成長に伴い

「私は何故自己否定するのだろうか?」

「どうすれば自己肯定感を持てるのか?」

等と論理的に考え出したとしても、
自己否定に負けてしまう理由の説明になると思います。

もしそうであるなら、

「根拠の無い自信」

「根拠の無い自他への信頼感」
を持つ為に必要なのは、

「努力」ではなく「感じ方」や「認識」を変える事で、

またそれによって、滞っていた自我の成長が促されるのではないか
と思います。

そして、その為の方法の一つとして、
「セルフリペアレンティング」(自己の再養育)
が挙げられます。




それでは次回は本題の
「どうすれば根拠の無い自信を持てるのか?」
についてお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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2020/5/25 (月)

「カツオ君」は何故根拠の無い自信を持ってるのか?

~根拠の無い自信を持つと人生が楽になる~




<前回からの続き>


皆さんもアニメの「サザエさん」をご存じだと思います。


皆さんは「カツオ君」の事をどう思いますか?


彼は「自己肯定感」「自己有用感」「自己効力感」
 が高いと思いますか?


「自分に対する信頼感」「他者に対する信頼感」
 はどうでしょうか?




これは私の個人的な印象ですが、
彼はそれらが高い様に見受けられます。


というのも例えば彼が、

「僕は何をやってもダメな人間だ」
(自己肯定感が低い)


「僕なんてこの家で何の役にも立ってない。
 居なくてもいいのかも・・・」
(自己有用感が低い)


「僕は、何にもできない人間だ」
(自己効力感が低い)


「僕は誰からも大切にされる価値の無い人間だ。
 だから誰も愛してくれるはずもない」
(基本的信頼感の欠如)

といった事を思っているとは考えにくいです。




カツオ君は勉強が苦手でテストの点数も悪く、
波平さんに怒られる事もよくあります。


それでも、
「あ~僕はダメなんだ・・・」と感じていなさそうです。


またサザエさんに

「カツオ!宿題やってから遊びに行きなさい!」と言われても、

「は~い」と言いながら宿題をせずに遊びに行ける訳です。

この事からも、
彼は「根拠の無い自信」「根拠の無い自他への信頼感」を持ってる
と感じます。


「時々怒られるけど、僕は愛される存在なんだ!」


「みんな僕の事を大切に思ってくれてるんだ!」

と感じているのだと思います。


ですから、
テストの点数が悪くても、自信を失う事もありませんし、
(度が過ぎるのも問題かもしれませんが(笑))

自他を信頼してるので、
誰にでもオープンになれるのだと思います。

それでは、
「カツオ君」は何故その様な”性格”になったのでしょうか?

私は、この”性格”の形成には二つの要因があると思います。


一つは「親の関わり方」
特に母親であるフネさんや年が離れ、時には母親の様な役割を果たす
姉であるサザエさんの影響あるでしょう。


これはあくまで推測に過ぎないですが、
フネさんがカツオ君との間に十分な愛着を形成し、

「良い子であろうがなかろうが」

「言う事聴こうが聴くまいが」

無条件で彼を肯定してきたからではないでしょうか?


そしてフネさんだけではなく、波平さんやサザエさん、マスオさんが
「安全基地」としての機能を果たしてきた様にも思えます。

二つ目の要因としては、

カツオ君の持って生まれた気質・傾向が考えられます。


見ていると彼はどちらかと言えば他人を気にせず、
怒られてもこたえない、

悪く言えば?「自己中」「鈍感」「集中が持続しない」といった気質を
持っているように感じます。

だから、

たとえ波平さんに怒られようが、ことさら親の顔色を窺って
敏感に反応したりせず、「ケロ」っとしてるのでは?と思います。


だとすれば、
一度獲得した自己肯定感や自他への信頼が揺るぎにくいと思います。

例えば、

もしあなたが「豊かな感受性」「並外れた共感力」「集中力」を持って、
「サザエさん一家」に生まれたとして、

あなたが乳幼児の時に、フネさんに抱っこされる感触が不快で嫌がったり、
フネさんが歌う子守唄が不快だったとします。
(豊かな感受性)

そんなあなたにフネさんが「何で嫌がるのかしら?」
と怪訝な表情をちらっと見せたら、

「私は嫌がられてるんだ!私の事嫌いなのかな?」
と不信感を感じてしまうかも知れません。
(感受性と並外れた共感力)


そうして、いつも親の顔色を読み過ぎて、
(集中力)

「良い子でないとお母さんは機嫌悪い。
 勉強ができなくちゃお父さんは私なんていらないと思うはずだ・・・」

等と感じながら暮らしゆくとします。
(感受性と並外れた共感力)


そしてどんなに愛情を示されようが、
「どうせ私は愛されてない」という考えを曲げる事がなかったとします。
(自分の考えへの並外れた集中力)


ついには、
あなたを除く3人が隣の居間で何やら話をしていて、

「ハハハハ」と笑ってる声に聞き耳を立て、

「きっと私の事を笑ってるんだわ」と落ち込む・・・
(感受性と並外れた共感力)

その結果、
あなたが「自己肯定感の低い」自他を信頼できない人になったとすれば、
一体誰が悪かったのでしょうか?


感受性が鋭く共感力がありすぎて、それが妄想レベルにまで達した
あなたに問題があるのでしょうか?

否、感受性の鋭さや共感力が豊なのは、持って生まれた気質・傾向で、
遺伝の要素が強いものですのであなたのせいではありません。

もしそうであるなら、
親のせいでも自分のせいでもなく、誰が悪い訳でも無いという事です。

ただ現実問題として、

あなたが今、根拠の無い自信が持てず、
自他への信頼感が持てずに苦しんでいるのであれば、
それを変えてゆく必要があるという事です。

それでは、

「どうすれば根拠の無い自信や根拠の無い自他への信頼感
 を持てる様になれるのか?」

を次回からお書きしたいと思います。


<次回へ続く>



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2020/5/22 (金)

何故あなたは根拠の無い自信を持てないのか?①

~根拠の無い自信を持つと人生が楽になる~

<前回からの続き>

今回は”根拠の無い自信”の源である
「自己肯定感」と、

”根拠の無い他者への信頼”に基づく
「自己有用感」何故身についたのか?

或いは、
「何故身につかなかったのか?」

についてお書きしたいと思います。




「アイデンティティー」という概念を提唱した、エリク・エリクソン
という発達心理学者が唱えた「発達段階理論」によれば、

生後2歳くらいまでの間に養育者(主に母親)との間で、
子は「基本的信頼感」を得ます。


母親が、乳児の不快や不安を取り除いたり、
乳児の望みに応えてゆく事によって、

「私は大切にされる存在だ」

「私は愛されるに値する」

といった、「自分に対する信頼感」
と、

「きっと私は大切にされる」

「(この人は)私の存在を肯定してくれる」

といった「他者に対する信頼」が獲得されます。


そして、前者が「根拠の無い自信」へ、
後者が「自己有用感」へ結びつくと考えられます。

ただ、ここでもし「基本的信頼感」が獲得されずに
「不信感」しか得られなかった場合は、

自分も他人も信じる事ができない、といった事になるでしょう。




※ついでに申し上げますと、
 ジョン・ボウルビィという心理学者が唱えた「愛着理論」
 というものがあります。

 (「愛着障害」という概念はここから来ています)


 簡単に言いますと、

 乳児期の母子関係に於いて、母親が子に
 充分な愛情を注ぎ愛着が形成され、

 親が「安全基地」となる事によって、
 子は自由に探索行動やチャレンジができるようになり、
 自立して行ける(傷ついても安全基地があるので)、というものです。


 この「愛着形成」の有無も、「自己肯定感」や「自己有用感」、
「自己効力感」(どんな状況でも自分はそれを乗り越えたり、
 達成する行動を取れる筈だ、といった自信)
 に影響すると思います。


 もしあなたが、
 失敗して傷つく事をを恐れ、チャレンジできないのであれば、
 愛着の問題もあるのかも知れません。

(この”愛着”の問題は別の機会にお書きしたいと思います)




ここまでお読みになった方の中には

「娘が自信が無い子になったのは私のせいかしら?」

等とご自分の子育てを責めてしまうお母さまもいらっしゃるかも知れません。


勿論、明らかに虐待や育児放棄や過保護、過干渉等をされた自覚
があるのであれば別ですが、

そうでないのであれば、お母さまは、どうかご自分を責めないで頂きたい
と思います。


というのも、親として十分な愛情をかけてきたきたつもりでも、

お子さんの生まれ持っての気質や傾向によって、
子供側の受け取りかたが違ってくるからです。


その事を次回に、漫画サザエさんの「カツオ君」
を例に書いてみたいと思います。


<次回へ続く>



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2020/5/20 (水)

いくら頑張っても自信が持てないのはなぜか?

~根拠の無い自信を持つと人生が楽になる~



「私にあの仕事ができる訳がない」


「あんな素敵な女性が僕の事なんて好きになってくれるはずもない」


「私にこの子を育てる事ができるんだろうか?」


「こんな私を認めてくれる人なんている訳ない」
・・・。

そういった”根拠の無い”自己否定や自己不信で
悩んでおられる方も多いと思います。

一方では、

(やった事のない仕事やポジションでさえ)
「私なら何とかやってゆくだろう」

とか、

「きっとあの女性も僕の事を好いてくれてる筈だ」

とか、

「さあ、立派な子に育ててあげるわよ」

とか、

「え?なんで私を認めようとしないの?」

等と、

”根拠の無い自信”を持っている人もいらっしゃいます。

そして前者の人は
「いいなあ~。私もあんな風になれたらなあ」

と根拠の無い自信を持ってる人を羨ましく思ったりすると思います。

そして、

「自信をつけなきゃ!」と仕事を人一倍頑張ったり、

色々な資格を取ったり、必死で恋愛本や子育て本を熟読したりする人
もいるでしょう。

でも、
どんなに努力しようが決して本当の自信(=根拠の無い自信)
が持てなくて、苦しんでる方も沢山お見受けします。




それでは、
何故いくら努力しようが実績を積もうが根拠の無い自信が手に入らない
のでしょうか?




あなたがもし、
努力を重ねても自信を持てなかったり、自己否定に陥ってるのであれば、

今回は、そんなあなたに向けて私の考えをお書きしたいと思います。




まず初めに、

「自信」「自己肯定感」といった言葉の意味からお伝えしたいと思います。


普段皆さんが使っている「自信」という言葉の意味としては、

「ある目標を自分の力でクリアして初めて 育まれてゆくもの」
というニュアンスがあると思います。

例えば、
中学で陸上部に入部した同級生のA君とBさんが、

最初は二人とも、勉強の成績がクラスの下位で、
部活の持久走でもいつも二人が最後尾を争っていたとします。


もしそうなら二人共、

「僕は勉強には自信がある!」

「私は走る事には自信がある」

なんて事は感じられないはずです。

勉強もスポーツも(仕事も)目標を立てて、それに向かって努力し、
それを達成して初めて得られるものが「自信」です。


つまり「自信」は自分の努力次第で身に付け、育んで行くものですので、
条件付きで「根拠が必要なもの」と言えるでしょう。

その後二人とも猛勉強・猛練習をして、
勉強も走る事も成績が上がり、「自信」をつけたとします。


ところが、
学年が進むにつれて、他の生徒達が勉強もスポーツも頑張り、
この二人は再び成績が落ちてきたとします。


でも二人が3年生になった時に、

人一倍頑張ってる二人の姿を見てきた部活の顧問が
A君をキャプテンに、Bさんを副キャプテンに任命しました。


そして二人共責任感から尚一層の努力をしましたが、
成績は伸びませんでした。


この時A君は、

「このまま頑張れば、僕ならきっともっと成績を上げられる筈だ!

 仮に、たとえ成績が上がらなくても、
 僕はキャプテンとしてきっとこの部の役に立つし、
 みんな僕を必要としてくれている」

と感じました。

一方Bさんは、

「いくら頑張っても成績が伸びない・・・

 私なんかが副キャプテンだと部のお荷物で申し訳ない・・・。
 私なんてここに居なくていいんじゃないのかな?」

と感じました。

はい、おわかりでしょうか?


A君は”根拠”が無くなっても、相変わらず「自信」を持っています。

しかも、「僕はこの人達の役に立ってる、必要とされてる」
といった「自己有用感」も感じています。

ところがBさんは、

”根拠”が崩れた途端に元の自信の無い状態に戻り、
下手をすれば「失敗体験」として
輪をかけて自信を失ってゆくかも知れません。

しかも「自己有用感」も感じられていません。




それでは一体、この二人の違いは何なのでしょうか?




それは、

A君”根拠の無い自信”、つまり「自己肯定感」が高く、
”根拠の無い他者への信頼”に基づく、「自己有用感」も高い
 からそう考えられるのです。

 ところがBさんは、
「自己肯定感」も「自己有用感」も低いので、
 A君の様には考えられない訳です。




ここまでお読みになって皆さんの中には、

「あ~・・・私はBさんと似たような性格だ。
 いくら努力しても持って生まれた性格だから変えられないんだ・・・」

と失望した方もいらっしゃるかもしれません。


でもご安心下さい。

この「自己肯定感」「自己有用感」は持って生まれた性格ではなく、
後から身につけた自分と他者への考え方・捉え方です。

ですから、変えてゆく事ができるものです。

次回は、

「何故自己肯定感や自己有用感が身についたのか?」、
或いは
「身につかなかったのか?」をお書きしたいと思います。


<次回へ続く>



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2020/5/18 (月)

今「死にたい」と思っている人へ

この世で一番大切な人との関係が壊れたり・・・


一番大事なものを失ったり・・・


ダメな私、情けない私に生きてゆく気力を失ったり・・・


生きている事自体が苦しくて仕方がない。


「死んだらこの苦しみから逃れられる」
或いは

「死んだら私の苦しみをわかってくれるのでは?」
と、死を選ぼうとしている人へ。

きっとあなたは、

「死んだ方がマシ」と感じるくらいの、
死ぬ事よりも苦しい程の辛い目に遭われたのでしょう。

そして、
そんな気持ちを誰にもわかってもらえないと感じている・・・。




勿論僕も、
あなたのその気持ちのたった1%でさえわかっていないのかも知れない。

それでも、あなたのその気持ちを僕はわかろうとしたい。

あなたの今までの人生は、喜びや幸せよりも、
悲しみや辛い事の方が何倍も多かったのかも知れない。


そんな中でも、

ほんのささやかでも、楽しかった事や嬉しかった事、
愛された思い出を想い浮かべると、
どんな記憶が蘇って来るのでしょう?

あなたが産まれた時に、誰が喜んだのでしょうか?

今までの人生で、
誰に愛されてる、好かれてる、と感じたのでしょうか?

あなたの事を大切にしようとしてくれた人は?・・・

そして、その人達に「サヨナラ」を言った時に、
その人達はどんな顔をするでしょうか?

あなたに何を言うのでしょうか?


そして、あなたがこの世から居なくなった後、
その人達はどんな気持ちで人生を送るのでしょうか?




・・・「死神」にとりつかれたあなたは、
そんな事を考える事さえできないのかも知れない。

だって死神が「死んだら楽になるぞ!」と
耳元でささやきかけているから・・・。


でも「死神」は肝心な事を隠している。

どんな死に方を選んだとしても、
人は息が絶える前に苦しみ、もがく。

それは、やっぱり死ぬ事の方が生きる事よりも苦しいから
「生きよう」ともがく訳だ。

でも、そこまで行ったら後の祭り・・・。




それでも「死神」から離れたくなくて、「覚悟」を決めたとしたら、
こんな事を考えてみるのいいかも知れない。


もしあなたが生まれ変わりを信じるのなら、

 生まれ変わって、どんな自分にもなれて、
 どんな人生でも歩めるのであれば、

 何がしたいでしょうか?

 どうなりたいでしょうか?

 何を手に入れたいでしょうか?


 ・・・生まれ変わりを信じる人達の中には、
    「死ぬ時の感情やステージが来世に影響する」
    という考えもある様です。

    どうせ、お金や仕事は「あの世」に持って行けない訳ですから、
    それを使い切るまで少しでも理想の「来世」に向けて、

    「なりたい自分」、「したい事」、「手に入れたいもの」
    を自由に追い求めてみませんか?

    だって、もう残り時間は少ない訳ですから。

或いは、

もしあなたが死ねば無になる、と思っているのであれば、

 同様に、死ぬまでの間に、やりたかった事、なりたかった自分、
 手に入れたかったものを お金が尽きるまで追い求めてみませんか?


 誰に遠慮する事もありません。

 だって、
「あなた」として生きていられる時間は限られている訳ですから。



あなたの苦しみをわかってくれる人とは
今はまだ出逢っていないのかも知れない。


でも少なくとも、僕の様にわかろうとしてくれる人はきっといます。

もし、身近にいらっしゃらなければ、

「いのちの電話」の相談員さん、カウンセラーさん、
精神科や心療内科のお医者さんに
「最期」に思い切って電話してみませんか?



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2020/5/15 (金)

何故超短期でのカウンセリングが可能なのか?③

<前回からの続き>

今回は私自身のカウンセリングの特徴をお書きしたいと思います。

まず、
お客様とカウンセリングでの目標を作り、共有します。

同時にお客様のリソースを探ってゆきます。


そして前回までにお書きした、

①五感(或いはイメージ)での知覚(インプット)

②(それに纏わる)記憶の想起

③思考・意味づけの形成(認知)

④感情・情動の生起→生理的な変化

⑤反応・行動(アウトプット)

に関して、

目の前のお客様の現在の「①」~「⑤」のパターンを把握します。


そして、
「①」~「⑤」の中で一番のキーポイントで、
変えやすいと思われる所に的を絞ります。


但し、
「②」の部分のトラウマや「④」の部分の感情の抑圧が大きい
と思われる方には、その処理を優先します。

(でないと、そこが引っ掛かって行動変容に
 結びつかない事もあるからです)


加えて、
最近特に重要だと認識している事が、お客様の気質や傾向です。


例えばHSPや発達凸凹の傾向をお持ちか否か?
の見立ては特に重視し、
その場合は真っ先に考えないといけない事は、
「①」のインプットを変える(例えば環境調整)という事だと思います。


ここを押さえておかないと「③」や「⑤」に働き掛けても、
うまく行かない「難治例」となってしまい、
短期での解決は望めないと思うのです。


その後、
「①」~「⑤」の中でターゲットとした部分を変える為に、
様々な方法でリフレーミングします。

(リフレーミングはとても大切で、お客様の腑に落ちないと、
 変化されるのは難しいと思います。)

※これは、家族療法の場合も同様で、
 例えば、親御さんが我が子の”問題”を相談に来られた場合、

 親御さんのお話から、親御さんとお子さん
 (或いはご主人や他の家族も)の気質・傾向、リソース、
 コミュニケーションパターン等から見立てをきっちりとし、

 お子さんの「①」が変わる様に
 親御さんの「⑤」が変わる様なリフレーミングを用いて介入してゆきます。

そして、
リフレーミングがうまく行くと、お客様はその部分を変えていこうとされます。

(その為に必要な簡単な課題をお出しします)

ここで、もしうまく行かなかった場合は、
「①」~「⑤」の中の他の部分に働き掛けます。


つまり、ターゲットは「①」~「⑤」の5つだけですので、

見立てを間違えずにリフレーミングがうまく行けば、
1~3回程度の面談の間に、お客様が望まれる方向へ
自ずと変化してゆく訳です。

では、
「日常生活での変化の定着(般化)はどうなるのか?」という問題ですが、

それに関しては、
「何故うまく行きましたか?」
「これができたら、次はこうして行きませんか?」

等と、「何故変化したのか?」「変化を継続したり
次の段階ではどう考え、どうしてゆけば良いのか?」という具体策を、
心理教育的に個々人に合わせてお伝えしますので、

後は実生活で実践して頂き、
ヒントが必要な時にのみ、またお越し頂ければよい訳です。


勿論、全ての方が「超短期」を望まれている訳ではないと思います。

実際「ここで肯定してもらって1週間の励みになる」
と週1回お越しになる方や、

「唯一の相談相手・話し相手になってほしい」
「何回かかってもいいから、私の辛い思いを受け止めてほしい」
と定期的にお越しになる方もいらっしゃいます。


ですから、
「超短期」を望まれる方も、じっくり話を聞いて欲しい方も
ご興味がお有りでしたら、ご連絡下さい。



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2020/5/13 (水)

何故超短期でのカウンセリングが可能なのか?②

<前回からの続き>

前回の記事で、
「行動(アウトプット)を変える」為には、

①五感(或いはイメージ)での知覚(インプット)

②(それに纏わる)記憶の想起

③思考・意味づけの形成(認知)

感情・情動の生起→生理的な変化

⑤反応・行動(アウトプット)

のどれか一つ、或いは全てを変えれば良いとお書きしました。


例えば、「来談者中心療法」」でしたら、
「①」~「⑤」のいずれも、積極的に変えてゆく働きかけは
殆どされないでしょう。

しっかりと傾聴し、共感する事によって、
お客様が「①」~「⑤」の変化を自ら起こしてゆけるような働きかけです。

ですから何より安全ですし、聴いてもらえてすっきりすると思いますが、
短期間での変化は難しいと思います。


また、「認知行動療法」では、
「①」の一部(例えば環境調整)と「③」と「⑤」 に働きかけようとします。

ところが、
トラウマチックな記憶の想起がフラッシュバックの様に生じてる場合の
「②」の部分や、

感情の抑圧によるイライラや涙が出て止まらない、等の「④」の部分は
直接的には扱いません。

(それを補う形の第三世代の認知行動療法として
 「マインドフルネス」や「ACT」等が出ていますが・・)

ただし、認知行動療法の利点とすれば、
メジャーな症例毎にマニュアルがありますので、
それに沿ってカウンセリングを行えば、
当たり外れがなく、かなり確実な改善が証明されているという事です。


一方、
「ブリーフセラピー」(短期療法)では積極的で効果的なリフレーミング
(物事の捉え方の枠組みを変え、意味づけや思考を変える)を行い、
「①」、「③」、「⑤」、特に「⑤」の行動(や言葉)を変える事を促します。

加えて、
家族や集団の中で、誰か一人の「⑤」(アウトプット)が変わる事によって、
他のメンバーの「①」(インプット)が変わります。

=例えば、母親がゲームを止めない息子に対して、
 「いつまでゲームしてるの?!やめなさい!」
 と言い続けても子がゲームを止めないパターンがあった場合、

 カウンセラーが、母親がすんなり納得できるようなリフレーミングを行い、
 ゲームを止めない子供に対して、
 何も言わず、肩を落として悲しそうな顔を浮かべ立ち去る・・・
 という様に母親の「⑤」を変えたとすれば、

 母親に対する子供の「①」のインプットが変わり、
 当然以下の「②」~「⑤」の、
 特に問題となってる子供の「⑤」の行動も変わる訳です。

 そして、子供の「⑤」が変われば、母親のみならず
 父親や兄弟等、家族全員のその子に対する「①」が変わり・・・と、

 家族や集団自体が有機的に望む方向へ変化し続けてゆきます。

 しかも実際の家族や集団の中で実行し続けるので、
 家族や集団の「①」~「⑤」の変化が相互作用で維持され続けるので、 
 定着・般化が速やかに生じ、短期での改善が見込まれます。

※私見ですが、同じ「①」「③」「⑤」を変える事を目指しているのに、
 認知行動療法とブリーフセラピーの改善までの時間の差があるとすれば、
 以下の点の違いだと思います。


・「⑤」の行動(アウトプット)に変化を生じさせる様なリフレーミング戦略
  持っているか否か?
 (認知行動療法でも「コラム法」等のリフレーミング手法がありますが、

  ブリーフセラピーの場合は、「いかに無意識の抵抗をかい潜って、
  お客様の心にスッと入るか?」を考えた、
  瞬時に強力なリフレーミングを戦略として行います)


・「⑤」」の行動(アウトプット)を変える部分での実行のし易さ

 (認知行動療法では「暴露療法」等、
  お客様にかなり頑張ってもらわないといけない課題を出す事もあります。

  それゆえ、カウンセラーが励ましつつ、寄り添い
  少しずつ変えてゆくので当然時間がかかります)


・家族や集団等の対人的な相互作用を利用するか否か?
 (これに関しては上述した通りです)


・そのお客様が持っている、リソース(性格や目標・人間関係等の資源)
 に注目し、それを生かそうとしているか?否か。

 (ブリーフセラピーでは、「お客様に問題がある」とは考えず、
  たとえ困難な症状でさえ、時にそれさえもカウンセリングに生かそう
  としたり、

  ”毒親”でさえもリソースとして生かそうと考えたりします)

  そしてそれによって、その人の自己肯定感や自己効力感にも影響が出たり、
  家族や集団全体を一気にリフレーミングしたり、
  等による事で「効率」に差が出たりすると思います。

但しお断りしておきますが、
私は決して「短期療法」が他より優れていると考えてる訳では、ありません。

傾聴や共感はどんなお客様にも必要な絶対条件だと思いますし、
それを望まれて、それによって楽になられる方には、それに徹します。

また、強迫性障害や依存症、不安障害、恐怖症などでは、
認知行動療法が不可欠だと思っています。

つまり、
「そのお客様の願いをできるだけ早く叶える為にはどうすれば良いか?」
といった「効率」を重視しています。

その為には「使えるものは何でも使う」といった、
ある種「功利主義的」なカウンセリングを目指しています。

次回は、私自身のカウンセリングについてお書きしたいと思います。

<次回に続く>



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2020/5/11 (月)

何故超短期でのカウンセリングが可能なのか?①

私のカウンセリングでは1回~3回程度で、
どんなお悩みや症状でも、解決や改善の手ごたえを掴んで頂いたり、
寛解へ大きく近づく方が多いです。
(※約3,500ケースのうち、4回以上の長期間通われる方は全体の5%未満です)


例えば、
数百以上あると言われている心理学の学派の中で、我が国での現在の主流は、
傾聴をメインとする、「来談者中心療法」

「認知行動療法」と呼ばれるものです。

そして、いずれの方法に於いても、
終結に至るまでは、通常十数回~数十回の
カウンセリングが必要な事が多いです。

※中にはアメリカのMRIという機関で発展した
 ブリーフセラピー(短期療法)という学派もあり、
 こちらは数回での終結が多い様です。


様々な症状や障害、解決困難に思える問題等を
抱えておられるお客様にとっては、
「そりゃ、短期間で改善できたるに越した事はない」
といった思いと同時に、
「私の長年の悩みがそんな短期間で解決する筈もない」
という思いも抱かれると思います。

それでは何故超短期で改善する事ができるのでしょうか?
その答えをできるだけ分かりやすく簡単にお書きしたいと思います。




まずお客様は、
日常生活で何か困られている問題があり、
今の行動を変えたくても変えられないから
カウンセリングにお越しになられる訳です。

ですから、まず初めに
「どういうふうに行動を変えたいか?」
という目標を設定する必要があると思います。


(例)
A:「アダルトチルドレンの生き辛さから抜け出したい」

B:「依存症を克服したい」

C:「不安を無くしたい、性格改善したい」

D:「子供のゲーム依存と不登校に悩んでいる」
・・・等々。


例えば、
「A」の場合は、

「日常生活に於いてどんな場面で生き辛さを感じるのか?」
「その生き辛さの為にどんな事が妨げられてるのか?」
「生き辛さから脱したら、今はできないどんな事ができる様になるのか?」

等といった質問で、その方の「行動目標」を明確にしてゆきます。

(例)
「自分の意見が言えず、人に頼れずに一人で仕事を抱え込んでしまい、
  仕事に行けなくなってきた・・・
  みんな頑張ってるのに、迷惑かけてるのが辛い」

だとすれば、
 「迷惑かけるのが辛いので迷惑かけない様にしたい」

 (その為には?)
「迷惑かけない様に仕事に行ける様になる」

 (その為には?)
「一人で仕事を抱え込まない」

 (その為には?)
「自分の意見が言えたり、人に頼れる様になる事」


つまりこの場合は、
「自分の意見が言え、人に頼れる様になる事」
が、この人の行動目標になる訳です。


同様に、
「B」の場合は、ギャンブルやアルコール、SEX、恋愛、買い物、
  過食等への依存をやめる事が行動目標で、

「C」は「A」と同様に、
 「不安を無くしたり、性格改善できたら何ができるようになるか?」
  が行動目標になり、

「D」は子供が学校に行く事やゲーム依存から脱却する、
    或いは、以前の様に笑顔で元気になる、

  といった事が行動目標になります。

この様に、自分(または子供や家族等の他者)の
「望ましい行動が出来る様になり、
 望ましくない行動を減らしたり無くしてゆく」
といった、
「行動(アウトプット)を変える」という目標を明確にし、
お客様と共有する事がスタートだと思います。


ところが、
この「行動を変える」という事自体が曲者なのです。


「わかっちゃいるけどやめられない」

「しなきゃいけないけど、できていない」

といった経験は皆さんも少なからずあると思います。

まして、
変えた行動を日常生活で定着させる(般化と言います)
までは凄く時間がかかります。

ですから、
通常のカウンセリングでは時間がかかってしまうのも当然だと思います。

ところで、
この「行動(アウトプット)」に至るまでの流れとして、


①五感(或いはイメージ)での知覚(インプット)

②(それに纏わる)記憶の想起

③思考・意味づけの形成(認知)

感情・情動の生起→生理的な変化

⑤反応・行動(アウトプット)

といったものが想定されます。


という事は、
「⑤」のアウトプットを変える為には、
「①」~「⑤」のどれか一つを、或いはすべてを変えれば良い訳です。


そして、その事を意識するか否か?によって、

カウンセリングが短期で終えられるのか?
それとも長期間かかってしまうのか?
の分かれ道になると思います。

<次回へ続く>



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2020/5/8 (金)

「私には生きる価値なんてない」と感じてる方へ④

前回お書きしたやり方で、
「自己否定を止める」事ができた方は、

「自分を肯定する方法」
を試してみられるのも良いと思います。




「自分を肯定する方法」


幼い頃から今までの自分を振り返ってみましょう。

 例:親から否定され(た様に感じ)、
   学校でも馴染めず、いじめられたり、嫌われたり(様に感じたり)、
   一杯傷ついて、
   家にも学校にも居場所が無い様に感じていた自分・・・

   でも、そんな中でも、他人の顔色を伺いながら、
   必死で生きてきた自分・・・

   誰にも相談せず、甘えず
   苦しみを独りで抱え、

   もしかしたら、
   過食や何かへの依存や
   引きこもったり、親に当たったり、
   自傷行為をしたりして

   何とかその苦しみをやり過ごして、
   今まで生きてきた自分・・・


そんな自分の事をどう思いますか?

 もし、あなたと全く同じ環境(例えば毒親の元)で
 生まれ育った人や、

 あなたと全く同じ気質(例えば、感受性が鋭く繊細等)
 に生まれた人があなたと全く同じ苦しみを抱えながらも
 今まで生きてきたと想像すれば、

 その人の事をどう思いますか?

 「ダメな奴だな」とか「生きてる価値ないよ」
 と思うでしょうか?

 もし「その人」の人生を少しでも肯定できるのであれば
 その人に何と言ってあげたいですか?


「その人」に言ってあげたい言葉を
 クッションに見立てた過去のあなたに言ってあげませんか?


その次に必要なのは、
 「今」のあなたへの肯定です。

 もしかしたらあなたは、
 繊細で感受性が鋭いだけでなく
 ピュアで、素直・・・

 そのくせ、良い意味での頑固さや
 一つの物事に対する集中力が凄い人
 なのかも知れません。

 もし、そうであるならば、
 幼い時に自分への否定的な「空気」
 を敏感に感じ取って、

 それを素直に信じ込み、
 誰が何と言おうが、
 その考え方にこだわり続けているのかも知れません。

 もし、そうであるなら、
 そうした自分の「こだわりのパターン」として、

 今でも常に「自分のダメな証拠」
 を集め続けているのではないでしょうか?

 「あ~、今日も仕事でミスした。
  やっぱり私ってダメだなあ~」と。

 もしあなたが、
 そのパターンにはまってるのであれば、

 自分を否定する思考が出てくれば
 前述の「STOP!、グルになってたまるか!」
 で止めて、

 そんなしんどい中でも、今日一日の中で
 「少しでも自分ができた事」
 に焦点を絞って、

 それを日記やスマホのカレンダーに
 一つだけでも書き込むのを
 習慣にするのも良いと思います。

 それを続けていけば、
 新しい「自己肯定のパターン」
 を作り上げる事ができると思います。


ただ、それでも自己否定が止められない方は、
まだ「無条件の自己肯定」には至ってない
のかも知れません。


もし、今までお書きした内容を実行されても
難しい場合は、
一度お問合せ頂ければお役立てできると思います。



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2020/5/6 (水)

「私には生きる価値なんてない」と感じてる方へ③

前回お書きしたやり方で、

否定的なセルフイメージを持つに至った原因がわかった方は、
「自己否定を止める方法」
を試してみられるのも良いと思います。

「自己否定を止める方法」


「否定的なセルフイメージ」を持つに至った場面を再現します。

 その為に、
 クッションかぬいぐるみを2つ用意して、
 向かい合わせに置きます。
 
 その一つを、あなたを否定した相手とみなし、
 もう一方を幼いあなた自身に見立てます。


あなたを否定した相手側(クッション)が、
 今まさに、幼いあなた(クッション)に
 否定的な言動をしていると想像します。


その場面を見てる、今のあなたはどう感じるでしょうか?

 例:「お母さんは酷いな」
   「この子(幼い自分)可哀相」等。


今のあなたによく自動的に出て来る
 自己否定的な思考を思い出しましょう。

 例:「私って、ここに居る価値なんてない」


⑤その考え方は、どちらの味方で
 どちらを傷つけるものでしょうか?

 あなたを否定した人側ですか?
 それとも、
 幼いあなたに味方する考えでしょうか?


もしその考えが、幼いあなたを否定した側
 を支持する考えであれば、

 今のあなたは、あなたを否定した側と
 グルになって幼いあなたを責めている
 という事になります。


今のあなたは、
 かつてあなたを否定した人と
 グルになりたいでしょうか?

もし、「グルになりたくない」
 と思うのであれば、

 (例えば)
 「昔のお母さんとグルになってたまるか!」
 と相手側のクッションに、声に出して言ってみましょう。


そして今後、
 自動的に自分を否定する思考が出てきた時に
 それに気づいて、

「昔のお母さんとグルになってたまるか!」
 等と、呟いてでもSTOPしましょう。

ただ、感受性が鋭い方は、
人に対して凄く優しい方が多いので、

「でも、お母さんには感謝もあるし、
 責める事なんてできない・・・」
 とか
「お父さんが実際にそういった訳ではなく
 そう感じてしまった自分が悪い」

等と感じてしまう場合もあると思います。


そういった方にお伝えしたいのは

「じゃあ、そう受け取った幼い自分が悪かったのでしょうか?」
 という事です。


幼い自分にとっては、
そう感じ取ってしまった事は事実です。


感受性が鋭いので、
沢山傷つき、気にし過ぎて苦しくて・・・

でもそんな中でも、頑張って生きてきた
過去の自分の事をどう思いますか?


どうか、あなただけは「その子」の味方になってあげて下さい。

あなたまでもがその子を否定したら、
誰が味方になってくれるのでしょう?

いつも自分のせいにする人は、
ここだけは他人のせいにしても良いと思います。


ですから、
相手に対する感謝や好きの気持ちは一旦置いておき、

「違うだろ!」とか「何でやねん」
の気持ちを持つ事をどうか自分に許してあげませんか?


そしてあなたがもし
「気にし過ぎる」性格なら、

それもあなたのせいではなく、
多くの場合は遺伝です。


だとすれば、
それはお父さん側の遺伝でしょうか?
お母さん側でしょうか?


例えばもし、お父さん側だと感じれば、
「なんや、私のせいじゃなくて、お父さん側の遺伝やん!
 もうほんま困るわ、お父さんたら・・・」

と、そこでも人のせいにしてでも
自分を責めない様に意識しましょう。


それでは、
次回は「自分を肯定する方法」をお書きしたいと思います。


<次回に続く>



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2020/5/3 (日)

「私には生きる価値なんてない」と感じてる方へ②

前回の記事で、
「否定的なセルフイメージを持つ様になった原因を探りましょう」
とお書きしましたが、

具体的にはどうすれば良いのでしょうか?

今回はそのやり方をお書きしたいと思います。




<自己否定的になった原因の探り方>

※注意!トラウマに触れる場合もあると思いますので、
 できれば私や専門家がいる場所で行う事が望まれます。

 
①座って目を閉じて、
 いつも頭の中に自動的に出て来る
 自分を否定する考えを口にしましょう。

例「私は生きてる価値なんてない」
 「私は何をやってもダメだ・・・」


②次に、
 その言葉で生じた感情や感覚を感じてみましょう。

 (1)その感覚は体のどの辺りにありますか?

 (2)それは、どんな感覚でしょうか?
 (例:胸の辺りが圧迫されてる感じ、等)

 (3)その感覚に色や形があるとすれば、どんな色や形でしょうか?

 (4)もしそれに触ったとしたら、 どんな感触?重さや温度は?

 (5)匂いや味、音や声は何か聴こえますか?

 (6)その感覚に暫く集中してみましょう


③そしてその感覚を感じたまま、同じ感覚を感じた、
 できるだけ過去へタイムスリップして行きましょう。

 「1年前、2年前、3年前・・・」

 もしかしたら、幼い子供時代まで遡れるかも知れません。


④「もうこれ以上過去には遡れない」
 と感じた時点に「着いた」と感じたら、

 それはいつ頃の事で、
 そこは何処で、
 誰が居て、
 何が起きてるのか?
 を感じてみましょう。

(例1):幼稚園ぐらいの自分が、
    自分の部屋で、
    お母さんから「あんたは本当にダメね」
    と言われてる場面

(例2):小学校低学年の自分が
    学校で先生や級友から
    馬鹿にされてる場面

(例3):小学生の自分が
    学校で皆とうまく馴染めずに
   「私ってこのクラスに居なくてもいいんじゃないのかな?」
    と感じた場面

(例4):小学校低学年の自分が
    家のリビングで、
    妹が褒められて
    両親と妹が楽し気に会話してる場面
   「私はこの家に生まれてきて良かったのかなあ」と感じた。

等々。




そうなんです。
家族(親や兄弟姉妹)や先生や友人から
実際に否定されたり、
自分でそう感じてしまったのが原因
である事が多いと思います。


勿論、実際に否定し続けたり、
酷い場合は、虐待やネグレクト、
兄弟や他人と比較したり、
親にとっての「良い子」でなければ怒り狂う、

といった、
所謂「毒親」に育てられた場合もあるでしょうし、

そうではなくて、
「例3」や「例4」の様に、
「なんとなく、そう感じてしまった」

と、本人側が感受性が鋭すぎて(HSP等)
親はそういうつもりがなくてもそう読み解いてしまった、

という事もあると思います。


実際に、うちのルームにお越しになる
所謂「アダルトチルドレン」の方の
半数位は、鋭い感受性でそう感じ取ってしまった、
という印象があります。


だとすれば、
お母さま方も(毒親の自覚がある方は別として)
「私のせいで我が子は生き辛くなったんだ」と
ご自分を責める必要はないと思います。


また、ご本人自身も
「感受性が鋭すぎてそう感じてしまった自分」
を責める必要はありません。

だって、その鋭い感受性は多くの場合、
ご自身のせいではなくて
遺伝的な要素が強いと思われるからです。


こうして、
「否定的なセルフイメージ」を
持つ事になった原因がわかった方は、
「自己否定を止める方法」を試してみませんか?


それを次回にお書きしたいと思います。


<次回に続く>



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2020/5/1 (金)

「私には生きる価値なんてない」と感じてる方へ①

会社や学校でミスをしてしまったり、

誰かに怒られたり、

過去の失敗や後悔を思い出して

「私は生きる価値なんてない!」

「私は必要じゃないんだ・・・」

「私なんて居なくていい・・・」

「私は役立たずだ・・・」

「私はダメ人間だ・・・」

と感じてしまい、
苦しくなっておられる方も沢山お見えになります。


そんな中でも「自分を変えたい」と
「プラス思考」になれる?本を読んだり、

「ありのままの自分を愛する」努力
を頑張っておられる方も多いです。


でも、いくら頑張っても
そこから抜け出せない自分に更に失望してしまい

「やっぱり私はダメなんだ・・・」
と、その自己否定を更に強めてしまう・・・。


もし、あなたがそうであるならば、
一体どすれば良いのでしょうか?

まず、
「プラス思考」になる前に、
「ポジティブシンキング」になる前に
「自分を愛する」前に

自己否定を止めなくては始まらないと思います。


何故なら、
自己否定をしながら、
自分を肯定しようとするのは、

まるで、ブレーキを踏んだまま
アクセルをふかす様なものだからです。

当然、ブレーキから足を外さないと
車は走ってはくれません。

(私見ですが、現在、自己否定的な方が、
 自己肯定に至る道程としては、

 「自己否定を止める」
    ↓
 「条件付きで自己を肯定する」
    ↓
 「無条件で自己を肯定する」
という段階があると思っています)


でも、
「そんな事言っても私は昔っから何をしてもダメだったし・・・」

「最初から(物心ついた時から)、自己否定があったし・・・」

と感じられるかも知れません。


だとしても、
それは決して「生まれつきの性格」ではありません。

何故なら、
自己否定する赤ちゃんは居ないはずですから。


だとすれば、
否定的なセルフイメージを持つ様になった原因があるはずです。


まずは、その原因を探る事から始めてみませんか?

次回は「自己否定する様になった原因の探り方」
をお書きしたいと思います。


<次回に続く>



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