コラム/2012-10-08
共依存と無償の愛
ご相談に来られるお客様の中には「私は機能不全家族で育ったアダルトチルド
レンです」とか「私は共依存じゃないかしら?」と悩まれていらっしゃった
方も少なくないです。そして、このコラムを読んで下さってる方の中にもそう
いったお悩みやご不安をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
そこで今回は「共依存」と呼ばれる人達が、いかに「愛に溢れた人」になり得るか?
についてお書きしたいと思います。
「共依存」という言葉は、アルコール依存症者患者の配偶者や家族が患者自身
の症状の維持に、本人は無自覚だけれども実は手を貸していて、依存ー共依存
の関係性というパターンを築いてるという事が”発見”された事が始まりだと言
われています。
一般的な定義で言うと、共依存とは「自己評価が低く、他者に必要とされる事で
初めて自分の存在価値を感じる事が出来る為、他者に対して自己犠牲的な献身を
強迫的に行い他者をコントロールしようとする事」です。
私自身、高校生の時から「人の為に、人類の為に」という思いが強く、よく周り
の人から「いい加減に”人の為に”を止めたら?まず自分でしょ?」とその
”共依存的”な所を何度もたしなめられていました。
今から振り返ればその当時の自分は自己評価も低く、強迫的な所も少しはあった
かも知れません。(実際に今でも”共依存度チェック”をすれば、高得点が
取れます(笑))
それでは「共依存」とは、悪い事なのでしょうか?
⇒確かに、その為に自分自身がしんどく感じたり、相手の人や周囲の第三者の
人達が問題を抱えているのであれば”問題である”とも言えるでしょう。
ただ、私は「共依存的になれる」というのは自分の「個性」であり「大きな長所」
ともなる”特質”だと思っています。
ある先生が「究極の共依存は愛である」と書いておられましたが全く同感です。
例えば「共依存」とは正反対にいる人達の特質を定義すれば、
⇒「自己評価が高く、他者に必要とされるか否かが自分の存在価値を左右する事
はないと感じている。 そして他者に対して自分にメリットがないような献身は
せず、他者をコントロールする気もないので”私は私、あなたはあなた”という
境界線をきっちり引いている。」という事になると思います。
⇒うん、確かに世間一般でみられる「自立した大人」ですね。
でも、例えばハンディキャップを持った我が子に対する母親の”無償の愛”や
ナイチンゲールやマザーテレサの様な”献身的な愛”とは遠い感じがします。
では「母親の無償の愛」や「マザーテレサ達の献身的な愛」とは何でしょうか?
⇒それを私なりに定義すると、
「自己評価は妥当で、特に他者に必要とされる事で自分の存在価値をもっと強く
感じる事ができる為、他者に対して自己犠牲的な献身を自ら選んで行い、しかも
それによって他者をコントロールしようとしない。」というところでしょうか。
⇒(もしこの定義が当たっているとすれば)これって、「共依存の定義」と近い
と思いませんか?
少なくとも、共依存とは正反対の位置にいる人(正常と言われてる人?)よりも
近い感じがします。
私は「共依存」は”無償の愛”や”献身的な愛”への発達段階だと思います。
もう少し発達・成長すれば自他共に認める「愛に溢れた人」になれる可能性が
ある”惜しい”人だと思います。
では、どうすれば発達・成長できるのか?ですが、まず以下の「共依存の人の
パターン」と「愛に溢れた人のパターン」を見比べて下さい。
①「共依存の人のパターン」
他者への献身⇒自分を正当に評価しない⇒フィードバックを受け取らない
⇒感謝できない⇒一方的な他者への献身=他者の支配・コントロール
②「愛に溢れた人のパターン」
他者への献身⇒献身してる自分を正当に評価⇒他者からの、フィードバック
を受け取る⇒他者の存在への感謝⇒益々他者への献身
どうでしょうか? 両者がよく似ているのがおわかりだと思います。
だから「共依存の人」は「愛に溢れた人」にあと少しで成長し得るのです。
ただ、その為に必要な事は
・「献身してる自分を正当に評価」=そうする事で自己評価が高まる。
・「他者からのフィードバックを受け取る」=もし何らかの”見返り”や感謝
があった場合でも、それを受け取らないと「自分にはそんなものを受け取る
価値がない」と増々自己評価を低めてしまうのと、次の「他者の存在への感謝」
も感じられなくなります。
(※もし、目に見える形でのフィードバックが無くても「この人から私は
何を与えてもらってるのだろうか?」と自問し、見つけて下さい)
・「他者の存在への感謝」=それを感じる為には正当に”自己評価”を
してあげて「相手の役に立ってる」事を自分自身で認め、相手が与えてくれ
てるもの(フィードバック)を見い出し「自分にはそれを受け取る価値があ
る」ときっちり受け取って初めて”感謝”ができます。
そして「他者の存在への感謝」があって初めて一方通行ではなく、まして支配
やコントロールではない、「無償の愛」や「献身的な愛」へと変えてゆく事が
できると思っています。
ですから「共依存」と思っている方は(その特質を活かさない手はないので)
「マザーテレサ」の様な方を目標に、成長して行く事ができると思います。
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