コラム/2013-01-09
愛と執着~何故、愛が憎しみへと変わるのか?
「愛が憎しみに変わる瞬間」とか「愛したくても愛せないから辛い」と感じた事は
殆どの人が一度や二度はあるのではないでしょうか?(勿論私も何度もあります)
◎「あれだけ好きだった彼氏に裏切られて憎い」
◎「好きで結婚した旦那だけど今は顔を見るのもうっとうしい」
◎「我が子を愛そうと思っても愛せない」
◎「親に対する憎しみがいつまでも消えない」・・・。
愛は何故こんなに辛いものなのでしょう?
でも、同じ愛なのに「無邪気な子供の笑顔を見て思わず微笑んじゃう時の気持ち」
はその後子供が泣き出しても、そっぽを向いても消えませんよね?
ここからは私の考えですが、この2種類の”愛”の違いは、意識が自分の心の方に
向かってるか相手に向かってるかの違いだと思います。
「愛」は本来「自分の中で生まれた愛の感覚をただ”ここにある”と感じるもの
で相手は関係ありません。
一方「相手に意識を向けて、相手の中にあるものを利用して”愛の感覚を
”頂こう、補ってもらおう」とするのは「愛」じゃなくて「愛”する”こと」
=執着だと思います。
「愛」はそこにある感覚をただ感じるものと考えるとそれに「する」を付けて
「愛する」にしてしまうと、途端に対象(相手)が必要になります。
そして相手次第で「愛する」事ができなくなったり、「憎く」なったり
してしまいます。
ですから「愛する」事に少し疲れた人は一旦”相手”を切り離し無理に「愛そう」
とするのではなく「する」を取って「愛」を感じてみませんか?
今のあなたの心の中にある愛を感じると、どんな感じがしますか?
万一、愛をあまり感じられないのであれば、どんな時に愛の感覚が湧き起って来る
のかを観察してみましょう。
・・・旅に出て大自然の偉大さを感じた時?可愛い動物を見た時?
老人に席を譲った時?誰かや何かに感謝の気持ちが湧いて来た時?・・・。
何も彼氏や旦那や子や親じゃなくてもいいんです。
たまには「愛する」の「する」を取って自分の中にある「愛」に気付く訓練
をしてみるのもいいかもしれませんね。
そうすると「自分の中にある相手への愛」をもっと感じる事ができるようになる
かも知れません。(勿論、愛”する”あまりそれが憎しみや恨みレベルまで
いっちゃってる人はまずそれを解消する事から始めないとなりませんが。)
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