コラム/2014-03-18
心配や不安の活用~別の事を心配する
「今ある不安を無くしたい」
「心配症を治したい」
その様に願っておられる人も多いと思います。
でも、僕は心配や不安そのものは人間にとって必要なもので、だからこそ
生きている以上は決してなくならないものだと思います。
例えば、現在世界的に行われてるエコ/環境問題に取り組む運動は
「今のままでは将来の地球が”心配”だ」という所から生まれていると思います。
もっと身近な話では「老後が”不安で心配”」だからせっせと働いて
貯金をしたりしますよね?
ただ「そんな事言っても、彼が他の女性と会ってるんじゃないかと思うと
心配で眠れません」とか、
「電車に乗るとまたパニックになるんじゃないかと不安が襲って来て
恐くて電車に乗れません」とか、
「食べたら太っちゃうんじゃないか?と心配でたまりません」
等といった心配や不安で現に今苦しんでおられる方もいらっしゃいます。
僕は心配や不安は大きく分けて2種類あると思います。
ーそれは「自分に力を与える心配・不安」と
「自分から力を奪う心配・不安」とに勝手に定義します(笑)
例えば前述の例で言うと、「心配に駆られてエコ問題に取り組んでる人達」や
「不安に駆られて一生懸命働き、せっせと貯金してる人達」は
「自分に力を与える心配・不安」に動かされていると思います。
また、戦時中は精神障害の人の人数が減るというデータがあるそうです。
これは「いつ殺されるか」という最大限の心配・不安が
「自分や愛する人を守りたい」という”力”を与えるからなのかも知れません。
そして、この時は恐らく少なからぬ人に「自分から力を奪う心配・不安」から
「自分に力を与える心配・不安」への”シフト”が起こってるのではないでしょうか?
僕の場合で言うと、サラリーマン時代は「今月営業成績が悪かったらどうしよう?」
とか「預貯蓄もないし、この先どうなるんだろう?」とか
「あの人に嫌われたらどうしよう?」等といった「自分から力を奪う心配」
にほぼ毎日駆られていたと思います。
ただ、今は最大の心配・不安を「もしこのまま死んじゃったら?」へと
”シフト”させました。
もし明日死んじゃったら、人生に悔いが残り過ぎて辛すぎます。
家族や世の中の人の為にやり残してる事が多すぎて、成仏できません(笑)
そして、僕の場合はその不安・心配が自分に力を与え、他の心配・不安を
吹き飛ばし「生きる意味」や「生きる力」を与え続けてくれます。
勿論人それぞれ「どういった不安・心配が自分に力を与えるか?」は違うと思います。
ですから、まず様々な不安・心配を思い浮かべてみて、
「どれが自分に力を与えてくれそうか?」を調べてみて、
もし見つかれば思い切ってそちらの不安。心配へ乗り換えて(”シフト”)みませんか?
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