コラム/2021-05-21
劣等感は欲求を満たす為に作り出される?
<前回からの続き>
前回私の推測として、
「人は”報酬”を得る為に敢えて劣等感を作り出す
(或いは劣等感に意識を集中する)事さえあるのでは?」
とお書きしました。
もしそうだとすれば、何故わざわざ「劣等感」を作り出したり、
そこへ意識を向け続けるのでしょうか?
まず、人(或いは動物)がどの様に欲求を感じ、それを充足してゆくのか?
というメカニズムですが、
①「不快刺激を感じる」(例えば空腹感)
②(ノル)アドレナリンシステムが働き、
「戦う」か「避けようとする」意欲が湧く
③更にそれ(不快刺激を避ける事による安心や欲求の充足)を得られる事
を想像してドーパミンシステムが作動し、その行動を維持し続ける
④それを得られれば、セロトニンシステムが働き安心感や満足感を感じる
という流れが考えられます。
アメリカの心理学者であるマズローが唱えた欲求5段階説によると、
人は
①「生理的欲求」、②「安全の欲求」
③「社会的欲求」(所属と愛の欲求=友情・愛情・家族・社会)
④「承認欲求」、⑤「自己実現の欲求」といった5つの段階の欲求を持つ、
という事です。
この説を基に考えますと、
まず一番下位の欲求とされている「生理的欲求」
(食欲・睡眠欲・性欲・排泄欲・呼吸等)と
その次の段階の「安全欲求」(自分の心身や環境面での安全・安心)
については(他人と比べるものではないので)劣等感は生じにくい
と思われます。
(例えば、お腹が空いた=空腹といった不快、
安全を感じない=不安という不快。つまり単なる”不快”や”不安”)
ここで動物の欲求を考えてみると、この段階で満足できる動物は
劣等感を意識しないのではないか?と推測されます。
例えば、猫やライオンが劣等感を意識しているとは考えにくい
のではないでしょうか?
ところが、
人間も含め霊長類等の社会性を持った動物は次の段階の「社会的欲求」
(自分が家族やどこかのグループに所属して貢献感や友情や愛情を感じたい)
については、それを得られていない場合は「自分だけ独りぼっち」等と
他人と比べて劣等感を感じ、それを求める方向に行こうとするのでは
ないでしょうか?
(勿論、サルが貢献感や友情や愛情を求めているかはわかりませんが)
更に次の段階の「承認欲求」(他者から認められたり、尊重・尊敬されたり、
自尊感情や自己有用感等を求める)は、人間のみが有する欲求
ではないでしょうか?
そしてその欲求が満たされないと劣等感を感じる筈です。
(最後の「自己実現の欲求」は他人と比べようがないので
劣等感は不要だと考えられます)
それ故、
「社会的欲求」や「承認欲求」を満たす為には劣等感が必要なのではないか?
と思います。
何故なら、空腹感や(安全が脅かされている等の)不安感は
すぐに不快刺激として感知されるでしょうから
即座に(ノル)アドレナリンシステムを作動するでしょう。
一方、
「社会的欲求」や「承認欲求」は他人と比べて劣ってるといった「劣等感」
が形成されないと不快刺激とは認識されずに、
(ノル)アドレナリンシステムが作動せず、
→ドーパミンシステム→セロトニンシステムといった、
欲求充足の行動を取る為の動機付けができないのでは?と思います。
そうなると、
(ノル)アドレナリンシステムによる意欲や、
ドーパミンシステムによる幸福感・喜び、
セロトニンシステムによる安心・満足が得られなくなり、
意欲の低下・喜び・の喪失、不安等の所謂「うつ状態」に近い状態になる
のではないでしょうか?
そうだとすれば、それが個体維持の危機だと認識されて、
「不安や怒りや劣等感」を作り出してでも、意欲や喜びや安心(=報酬)
を得ようとするのかも知れません。
その事について、次回更に詳しくお書きしたいと思います。
<次回へ続く>
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