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コラム/2022-03-18

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希死念慮・自殺念慮は生きてゆく為に必要だった

<前回からの続き>

前回、

「”希死念慮”や”自殺念慮”、自傷行為や自殺企図は
 絶望や恐怖・不安やトラウマ等に対する生きてゆく為に必要不可欠な
 防衛反応である場合が多いと思われる」

「だから、その考え方を正そうとしたり、その行為を止めようとしても
 難しい場合が多い」

とお書きしました。

今回は私なりの理解で、その意味をお書きしたいと思います。

私は決して自死擁護論者ではありませんが)




幼少期の親(等の主養育者)との関係性の中で、
「親から大切にされている、愛されている」という実感が持てないと、
「愛してもらえないと生きてゆけないのに愛してもらえない」
 といった絶望と恐怖のドン底に投げ込まれます。

 それに加えて、自身が日々感じる不安や恐怖等の不快を癒してくれる
 ”安全・安心の基地”という感覚を親に対して持てない(=愛着障害)
 訳ですから、一人でその絶望感・恐怖・不安に向き合うしかなくなる
 でしょう。

★こうなってしまう理由として、親による虐待やネグレクト等は勿論ですが
 子供側の感覚過敏(+思い込み)から、誤解が生じてそう感じてしまった
 という事も考えられます。

そうなると、まるで幼い子供が守ってくれる人のいない戦場に放り込まれた
 様な状態になりますので、日々沢山の傷(トラウマ)を受け続け、
 日常が絶望や恐怖が渦巻く救いの無い世界に感じられるでしょう。

でも、そんな地獄絵図の中でも生きて行かないとなりません。
 そこで、「逃げる」「戦う」「服従する」「凍り付く」等の
 恐怖・脅威や不安に対する動物由来の防衛反応を駆使してゆく訳です。

その防衛策の中でも「自分の命だけはいつでも終わらせる事ができる」
 という考え方が”救い”となる場合もあるでしょう。

 即ち、”生存欲求”と戦って勝利すれば、全ての絶望・恐怖・不安から
 逃れられる訳です。

 そして、それが唯一自分で自由にコントロールできる部分だと信じ込んだ
 のだと思います。

そうして「いざとなったら、全てを終わらせる事ができる」
 という安心感にすがって、何とか”戦場”を生き延びて来た訳です。




それでは次回は「”希死念慮”や”自殺念慮”等の防衛反応のパターンを
どうすれば変えられるか?」のヒントについてお書きしたいと思います。

<次回へ続く>



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