コラム/2024-01-12
学校へ行けない人へ④不安過敏(2)実存/哲学的不安
<前回からの続き>
今回からは、
”不安過敏”とも言うべき「不安」に対する過敏さを持っている為に
学校へ行けなくなっているお子さんの中で、
漠然とした不安の中でも、特に「自分が生きる意味」や「孤独感」等の
所謂「実存/哲学的不安」によって学校に行けなくなったお子さん
や親御さんに向けて、
その例と解決へのヒントをお書きしてゆきたいと思います。
<学校へ行けなくなったお子さんの例④不安過敏
(2)実存/哲学的不安>
◎J男君の例(実存/哲学的不安)
「高校3年生のJ男君は、子供の頃から物事を深く考えるタイプでした。
例えば彼が小学生の頃、社会の授業で内紛や飢餓や病気で苦しんだり、
亡くなってゆくアフリカの人々のスライドを見た時にショックを受け、
”僕に何ができるのだろう?・・・でも、今の僕には何にもできない”
といった無力感に襲われたり、
中学生の頃には、”自分とは一体何者なのだろうか?”とか
”自分の生きる意味とは?”とか”人生の意味とは?”等といった事を
深く考え、答えを見出せない自分に苦しんでいました。
高校に入ってからも、その悩みは尽きなかったのですが、
家でも学校でも、周りに合わせる事もできたので、
彼の本当の悩みに気づく人は居ませんでした。
周りの同級生が”彼女ができたんだ!”と嬉しそうに話す姿を見て、
”僕も彼女が欲しいなあ・・・でも、人間はどうせ独りで誕生して、
最終的には独りで死んでゆくんだ・・・諸行無常だ”なんて考えると、
恋愛をする気持ちにもなれませんでした。
そんな中、3年生になって、周りの友達たちは専ら受験の事や
将来の目標や夢について話す事が増えてきました。
友達に尋ねられると、”〇〇大学に入って、商社マンになれればいいかな”
等と適当に答えていましたが、
内心は”何の為に進学や就職するんだろうか?
大学へ行って、就職する意味があるんだろうか?
そもそも何の為に生きてるんだろうか?”等と考えると、
受験勉強にも身が入らなくなり、
周りの友人達とのギャップを感じながらも、
”普通”のフリをする事に段々疲れてきました。
そして、とうとう学校へも塾へも行かなくなりました。」
<解説>
上の例のJ男君の場合は、
「不可避の生きる事と死ぬ事への不安」
「意味を見出そうとするが見いだせない事への不安」
「孤独への不安」
等から、
哲学者のサルトル等が唱えた「実存的不安」が強すぎて、
それに圧倒されている状態だと言えるでしょう。
この実存的不安には、
他にも
「自由と選択」:無数の選択肢に圧倒されてしまい、選べなくなる不安や
選択したものに縛られて、後で”間違った選択をしてしまった”等と
却って自由が無くなってしまう、等といった不安。
「責任」:自分が選択した事については責任を負わなければならないのが
世のルールです。ただ、その結果がネガティブなものになった場合には
責任を取らないといけない、、等といった不安。
「親密さ」:相手と親密になると、自分の事を相手により深く知られてしまい
相手の反応がより気になってしまったり、相手との境界線があいまいになり、
自分の自由が侵されてしまう、等といった不安。
等があります。
誰しも上記の様な事を考えると、多かれ少なかれ不安になると思いますが、
J男君の場合は、学校や進学どころでは無くなった訳ですから
以下の個性/特性と傾向を持っていると想像されます。
①不快刺激に極めて敏感である
J男君は、不快刺激(⇒不快感情)、特に不安を誘発する不快刺激と
そこから生じる不安という不快感情に極めて敏感であると考えられます。
②特に混乱(カオス)や不確定要素に対して敏感である
「自分がいつ死ぬかわからない」
「選択した結果がどうなるかわからない」
「相手とどういう関係になってゆくかわからない」
「どんな目的で人生を生きたら正解か?がわからない」
等の不確定要素が多いと、誰しも混乱するでしょうし、
不安(不快)を感じるでしょう。
そしてJ男君の様に「実存的不安」が強いタイプの人は、
この部分に対して特に敏感である(敏感さのベクトルが向いている)
と考えられます。
③分析力や意味づけに秀でている
J男君の様なタイプの人は不安を惹起する不確定要素を解消する為に、
確定させる(混乱を収束させる)為の分析力と意味づけに
類まれな能力を持っていると思われます。
例えば、
「混乱している要因は何か?」と分析し、
「この混乱はどういう意味があるのか?」と意味づけし、
「だから混乱しているんだ」と納得すれば、
不快なカオスから逃れられるでしょう。
④分析不可能、意味づけ不可能な課題に挑んでしまっている
J男君の様な実存的不安で苦しんでいる人は、
「生きる意味」
や
「いつ死ぬのか?」
や
「選択の結果がどうなるのか?」
「相手との関係性が今後どうなってゆくのか?」
等と
分析不可能、意味づけ不可能な課題に取り組んいると言えます。
お釈迦さんや哲学者等、そうした課題に真っ向から取り組んで
自分なりの意味づけや答えを見出す事ができた人も居ると思いますが、
多くの方は分析できない、意味づけできない、カオスから逃れられない
不快感情に、より強く囚われてゆくでしょう。
もし、
これらの私の推察が正しければ、
J男君の様な「実存/哲学的不安」に対する過敏さを持っている為に
学校へ行けなくなっているお子さんやその親御さんはどうすれば良い
のでしょうか?
次回は、私が考えるその解決へのヒントをお書きしたいと思います。
<次回へ続く>
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