コラム/2024-04-10
気休め・気を紛らわす・気晴らし・暇潰し/遊びの大切さ
<前回からの続き>
「それってただの”気休め”でしょ?」
「趣味ですか?・・・
”暇つぶし”にゲームをするくらいです」
皆さんの中でも
「気休め」や「気を紛らわす」
「気晴らし」「暇つぶし」「遊び」
という言葉に対して、
ネガティブなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。
私のカウンセリングでは。
その方のお悩みを解消する具体的な方法を
ご提示差し上げるのですが、
中には
「それは単なる気休めではないでしょうか?」
と仰る方もいらっしゃいます。
勿論、
”根本解決”を望んでおられる方にとっては、
時に”気休め”と感じて、
物足りなさを感じられるのもわかります。
ただ、私は
「気休め」「気を紛らわす」「気晴らし」は
とても大切な事であると考えます。
(※後述しますが、同様に「暇つぶし」、「遊び」も
とても大切な事だと思います)
何故なら、
例えば
生まれつき「快/不快」に対してとても敏感な人は
不安も感じ易いでしょうし、落ち込み易いでしょう。
その様なタイプの人には
「不安を無くす」事や「落ち込みを無くす」事は不可能だと思います。
或いは、
そこまで敏感ではない人でも、心の奥底には
「病への不安」「死への恐怖」
「愛する存在の喪失への不安」
は誰しも持っているはずですし、
時には落ち込む事もあるでしょう。
ところが、
「不安」や「恐怖」に囚われ続けたり落ち込み続けると、
人生を楽しんだり、成長したり、
願いや目標を達成したりする力が損なわれてしまうでしょう。
そこで大切な事は、
「いかに不安や恐怖から気を逸らしたり紛らわせたり、
気休めをするか?」
「いかに気晴らしして、落ち込みから抜け出せるか?」
という事だと思います。
そういった意味では人間を含む動物全ては、
欲求充足や快楽/趣味/暇つぶし、やるべき事/仕事等に集中する事で
死の恐怖や別離/喪失の不安を感じない様に
”気を逸らしている”とも言えるでしょう。
でないと、
種の繁栄どころか、
日常生活さえままならなくなるでしょう。
次回は
「愛着(アタッチメント)」と「気休め/気晴らし」の関係
について私見をお書きしたいと思います。
<次回へ続く>
コメント